オンライン・ギョザリング(Zoom餃子会)のすすめ。
3月にはこんな風になるなんて想像だにしなかったけど、今日は「オンライン・ギョザリング」をした。
Zoomを使って、それぞれの家でそれぞれ好きな餃子をただ食べる、オンラインでのご飯会だ。
まさかの作るところからやる人たちもいる。
夫は皮から手作りして、麺棒でのばしたり、そのあと具を詰めたり、焼くところまで中継した。本気度高い。
水餃子を作った子もいた。
包み方が可愛い。
茹でるところから開始し、膨らんで可愛くなくなったと嘆くところまでずっと見ていた。楽しい。
とりあえず乾杯!
昼間からビールの人もいて充実感が溢れている。
目の前で、カセットコンロ式のホットプレート?で焼く人もいて、調理と食事が同じ場所でできるのはZoom向きだな!と知見を得るなど。
それぞれの餃子。
それぞれの楽しみ方。
単に、日曜日だから休みの人もいれば、我々のように計画的無職もいたり、このご時世仕事が減ってしまい模索中な人もいる。
餃子の前では皆平等である。
勝手に笑顔になる。
餃子は美味しい。
餃子は皮から作ってもいいし、なんなら具に入れるキャベツやニラを育てるところからでもいい。
具材を変えてもいいし、焼いたり茹でたりスープにしたりのバリエーションもある。
餃子は懐深い存在だ。
餃子は全てを受け入れてくれる。
そんな餃子を、離れ離れになったみんなで一緒に焼いて食べる。
なんとなく、和むじゃないか。
Zoomを使ったギョザリング(餃子×ギャザリングの造語)、もっと広めていこうと思う。
発端は夫。
最近夫がとにかく極めて来ている、すごい。
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なんでこんなにZoomばっかりやっているのか。
新しいおもちゃを見つけたら欲しくなる、ではなく、リアルに会えない今はこういうツールをいかにうまく自分に取り込むしかないから、どちらかというとかなり切羽詰まっているのだよ。
思えば、お店でライブ配信やラジオを配信しだしたのだって、「人前に出るのが好き」とか「喋るのが好き」なんて牧歌的な理由では決してない。
お客様と交流して楽しい時間を作るため、エンタメを作るため、その時最善の方法を模索した結果、やっていたのだ。
「こういうのってちょっと苦手・・・」という人の気持ちもわかる、私だって人前で大げさなリアクションとってニコニコ映像で出るのなんて、やらずに済むならそうしたい。
でも、そうすることがお客様の喜びになり、結果的に自分の仕事に繋がり、生活ができるからだ。
Zoomをとにかく試していると、いろんなことがわかってくる。
オンラインのやりづらさももちろんあるけれど、それ以上にオンラインだからこそ効率が良くなったり、スピード感が良くなったりすることもあるし、オンラインじゃないと体験できない面白さもたくさんあることに気づく。
スピーディに試す人間が生き残る、そう信じてやっている。
仕事や切羽詰まった理由だけじゃなくて、せっかく使うなら「楽しく」使える方法を探したい。
今回のオンライン・ギョザリングみたいなものを面白く試していく中で、新しい何かを発見できるかもしれない。
とにかく今は試すんだ。
自分のために、みんなのために。