そのマスクは誰のため、何のためにしているの?
「自分の頭で考える」ことがどれだけできているか、というのは、「生きていけるかどうか」にも直結するのだろうな、と、ふとこの記事を見て思った。
本文より。
「考える」とは成熟することです。自分で考えられない大人を、成熟したとはいいません。考える力を磨く簡単な方法は、外に出ることです。コロナだから外に出たらだめだって? そんなことはありません。それこそ、どうやったら安全か。三密じゃない場所はどこか。帽子は、水筒は、着替えは…と想定して準備すればいい。それが「考える」ということです。「なぜ外に出てはいけないのか」と問い直すことも、「考える」ことかもしれません。
混乱の最中、政府の発言、ネットの情報、社会の目、自分の暮らし、どれも天秤にかけながら冷静に「考える」ことは難しかったかもしれない。
だけど今は、もう少し落ち着いて考えることができるはず。
「考えて行動する」ことは、自分で判断する力を養うこと。
言われたことをそのまま鵜呑みにしたり、社会の目を気にしたりすることが、事実を見失わせ「意味のない」行動に結びついて、「滑稽な社会」を作り上げる。
最近、公園に行くようになった。
今まで公園に行く習慣はなかったけれど、単に十分な時間ができたのと外の空気を吸いたいと思って、心地よく過ごせる場所を探して行き着いたのがそこだった。
ホットサンドを買って、木の下で食べる。
写真を撮って木漏れ陽の涼しさにうとうと、シートで寝転ぶ。
夫と2人。
5月25日(月) 保育園や学校が始まったからか、人は少ない
(というか、この写真はいない)
はじめは、家から律儀にマスクをして歩いて出かけて、公園でも食べる時だけ外していたけど、何だか暑いな〜と思ったらふと、「何でマスクしてるんだっけ?」と変な気持ちになった。
広い公園に夫と私だけこの大きな木の下にいる。
屋外で密閉されていないし、2mどころか遠くにしか人はいなくて、三密は完全に避けられている。
マスクって何のためにしてるんだっけ?
自分が「感染している」と仮に想定して、飛沫が飛んで人にかからないようにするため、実際に効くかは別として飛沫を避ける「予防」のため。
単にそれだけのことだったはず。
ふと、冷静になってマスクを外した。
気持ちいい。
生きてる。
5月23日(土) 公園全体では比較的人が多いけど、空いている場所もかなり多い。広いのでどこでも場所を作れる。
それからは、公園に行くときにマスクはつけていない。
基本的に歩いている時は大して会話もしていないし、咳もないので飛沫がない。
すれ違う時は気持ち、距離を取る。
というか、人がよく通る道を避けて歩いているからあまり会わない。
公園ではマスクは基本しない。
知人に偶然出会ったり、何かの拍子に誰かと話すことになったらマスクをする。
お店に入る時は消毒とマスクをきちんとする。
家に帰ったら手洗いする。
それだけ。
この行動がもしかしたら批判されることもあるだろう。
とにかくどこでもマスクはして!と思う人もいるかもしれない。
逆に「それくらい普通じゃない?」と思う人もいるだろう。
何も考えず「マスク?持ってない」って人もいるかもしれない。
でも私は、こんなちょっとした事でも、ちゃんと自分の頭で考えて、行動したいと思う。
5月23日(土) 人が増えてきたな!という時間帯でこれ。
公園を見渡すと、それなりに人がいて、マスクをしたまま静かに1人で読書をしている人、マスクをしたままボールを追いかけっこしている子供たち、マスクをせずに友達と笑い合う学生さん、大人はマスクしているけど子供はしていないママ友同士の集まり、、、など色々。
みんなは、なぜマスクをしているのかな?または、していないのかな?
誰のために、何のために、マスクをしているのかな?
そのマスク、意味ありますか?
*
マスクを批判するのではなく、「意味を考えて行動していますか?」という投げかけです。私も人のいるところでは基本的にマスクをしています。
<メモ>
岐阜県は5/3以降感染者は確認されていません。
また、私が行っている学びの森という公園に関していえば、土地が広すぎて(5.8ヘクタール)、土日の混雑時でも充分に距離をとって過ごすことができると思います。
自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです!