人前で裸になれるか? / 映画「レッド・スパロー」 7 オゼキカナコ 2018年4月5日 23:27 賢くて強くて美しい者に憧れる。だから女スパイの映画は好きだ。スパイ映画の好きなところは、心理操作の高度なテクニックで、観ているこちらも騙されるところ。誰の言うことが本当か、翻弄されて、それすら快感に思える駆け引き。ハニートラップ、仕掛けて見たいけどなかなか現実に出会わない。恋の駆け引きもとっくの昔にやり終えてしまった。そしてもう一つ。感情を殺して合理的に、目的のためには手段をいとわない、その潔さがクールで憧れる。スパイの是非はともかく、行動原理が非常にシンプルであることは美しいと感じる。私はスパイになれるかな?と、たまに夢想する。自分としては向いている部分もあるんじゃないかな、と、自分に甘く見積もって、自分で勝手に喜んでいる。例えば映画の中で、人前で「裸になりなさい」と命令されるシーンがある。もちろん、それには理由があり、目的達成のための一歩になる前提の命令だ。「裸になりなさい」と言われて、できる人はどれくらいいるのだろうか?私は、自分としてはできると思う。すっとみんなの前に立ち、おもむろに服を脱ぎ始める。そこに感情はなく、ただの行為としての脱衣がある。私はたまに、自分は思考と身体が乖離していると感じることがある。「裸を見られるなんて恥ずかしい」という意識が多分薄い。こだわりがない。もちろん、理由もなく脱ぐのはただの変態だしやらないけど、何か理由があり必要であればすんなりとやれる気がする。俳優が濡場を演じるように、状況に応じて体を差し出すことができる。「身体は入れ物」という感覚も若干あり、そのためSFで出てくる義体化や生体認証なんかも抵抗が全くない、どころか、身体拡張できるのであれば憧れすらある。誰もがこういう感覚が多少なりともあるのか、それとも普通は「体を見せるのは嫌だ、恥ずかしい、怖い」みたいな感情が先行するのかわからないけれど。なんてことを想像するのすら好きだ。これはただの空想。実際にそんなシーンに出くわすことがあったら、私は裸になれるだろうか。わからないけれど、そんな空想で遊べる自分が平和でありがたい。今のところは、ね。 #エッセイ #映画 #スパイ #レッドスパロー 7 自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです! サポート