作家は作品を完成させてから、死ねばいい。
漫画家の芦原妃名子氏が亡くなった。
砂時計は映画まで観たし、Peaceはあらすじ忘れて二回も課金して読破したし、最新作のセクシー田中さんはドラマ化される前からリアルタイムで読んでいた。ファンというにはおこがましいのだが、作品を楽しみにしている読者のひとりだった。
ショックだった。描いている中のかたのことを全く存じてはいないのだが、作品にだけは親しみを持って触れていたからだ。ニュースで知って、とてつもなく悔しい思いに駆られた。
生きていてほしかった。
本当に作家のかたの素性は1ミリも存じていない。でも、生きていてほしかった。そしていつになってもいいから続きを読みたかった。
人を感動させるには才能がいる。努力では補えない感性が必要だと思う。
よく歌が上手い人が点数を競うテレビ番組を子どもたちと観る。いかに音程やリズムを間違えずに唄いきれるか、一生懸命歌う姿を視聴者は見守る。子どもが訊く。
「なんでさっきの人の歌のほうが良かったのに、こっちの人が勝つの?」
カラオケの採点機では、正確に歌えてるかと人を感動させる歌声かは採点できない。
しゃくりやビブラートの入れ場所が教科書通りじゃなくとも、聴く人の心を震わせる人は震わせるし、採点機で100点出そうとも聴く人に「ああ上手いね」しか思わせない人もいるということだ。
人を泣かせたり、感動させたり、目に見えない感情に訴えることができるのには稀有な才能が要ると思う。
それは、人生経験だったり、その人が持って生まれた身体能力や容姿だったり、さまざまな要因もあるかもしれない。
何度でも作家は挫ける。
人間だから死にたくもなる。
でも、生きていてほしい。事故や天災や病気で志半ばで絶えることもあるかもしれないが、生きていてほしい。わたしも今、元気に生きているが10代の頃はオーバードーズに入水自殺未遂に、命を断つことしか考えていなかった。
先日、職場主催のチャリティーコンサートに行った。
歌手が35年やってきたけど、もう無理だ、と限界を感じたことがあるという話をしていた。それでもこうしてもう一度ステージに立てるようになったのは言葉の力で再び奮起することができたという。ある一遍の詩をもらい、そこに歌をつけたことでまた歌おうと思ったと。
そして私たちはその歌を聴いて勇気をもらう。些細な誰かのアクションが、人に力を与えたり奪ったりする。
「次の作品もたのしみですね。」
はじめてニコンサロンで個展をひらいたとき、思いがけず、色々な人が来てくださった。その中には今はもう亡くなったかたもいて、その人はその後も毎回作品を見てくれていて、たぶん最後にお会いしたときにこう言ってくれた。
作家には次があるのだ。一度で終わりではない。そしてまた新しい作品を作っていく。
誰かのために、は大袈裟かもしれないけれど、人を魅了するような作品を作る人にはファンがついている。ファンのために作品はある。
もちろん作家自身もひとりの人間で、作品とは関係ないところで人生を送っている。でも、そこで踏ん張ってほしい。人生は続いていくから。私も生きていて良かったと思うし、今の自分が好きだ。ショックなニュースだったため過激なタイトルになり申し訳ない。心よりのご冥福をお祈り申し上げます。
ちょっと疲れている。
夜勤まで少し眠ろう🥱
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