蓋をしていた過去が溢れだした理由
今日は4日間かけて行ったグループセラピーが終わった。
過去の自分を一年ずつ振り返って、声に出して伝えていくうちに、10代の苦しい時期の感覚が不思議とどんどん蘇ってきた。
私には、見てくれている大人がいなかったんだ。
ごく普通の家庭で、物にもお金にも不自由ないし、
でも私の家庭には信念や価値観がなかった。
生きるってこういうことだよ、とか
生きるのに必要な言葉を私は知らない。
私は10歳くらいから心が狂い始めた。
ずっと友人との関係で泣いていた。
両親は全くそれに気づかなかった。
だからできないことだけ叱られる。
いじめに加わったことを他の親から聞いて叱るのに、私がいじめられていることは知らない。
土日の部活中近くの道でサボっていて怒るが、
部活が身体も心も限界で土日の長時間練習中は、遠くの公園でただ4時間が過ぎるのを待っていたことは知らない。
真冬でおこづかいもほとんどなくて、100円のグミ1つで、じっと耐えていたことは知らない。
中学生で一人だけいじめに真剣に向き合って話をして聞いてくれる先生がいた。
嬉しかったが、その先生自身がすぐに壊れていなくなってしまった。
放課後居残りになり、先生と話し合いをしていた日、私がダンスのレッスンに行きたいので帰りたいと言うと、先生は叱った。
クラスから疎外され、救いがダンスしかないことを知らずに。
子どもを個人的な好奇心のために利用している先生がどれだけ多かったことか。
大人になった今、自分で少しずつ、理解ある人を探している気がする。
そして、それは自分自身なんだなとも気づいた。
今なら当時の私のグレートマザーになって、大きく優しく包み込めるような気がする。
蓋なんてもう必要ないよと言おう。