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拝啓、幼馴染たちへ

先日、ある急ぎの用事があって、弾丸で地元に帰りました。

田舎あるあるだと思うけど、生身で歩いてる大人が少ないからか、道を歩けば同級生に気づかれたりします。


そんな小さな世界だけど、今はそれぞれ家庭をもって違う町に家を建てたりして、なかなか会う事もなかったのですが
今回は小学校から高校まで共に過ごした仲間の一人に、何となく声をかけました。

その時は『ひさしぶり元気?』『実家ももうすぐ手放すけん、それまでにまたみんなで会えたらいいね』と軽く話して終わったけど、その後、朝突然LINEが来て、そのまます~っと遊びにきてくれました。

小学生?


リモートワークに全く集中してない者の痕跡


コーヒー片手に他愛ない世間話して、たまにリモート会議に参加して、そんな姿を「エリートみたい!」って笑って
子供もいて、お互い小学生~高校の時とはまるで違うのに、その頃となんも変わらなくて
めちゃくちゃうれしかった。

一番やんちゃだったあいつがついに結婚したとか、あの子もシンママになって帰ってきて子供はウチと同級生だとか、新任で小3の担任だった〇〇先生は教頭先生になったとか。

私は18歳で地元を離れてから成人式や同窓会にでたこともないし、狭く深くの交友関係だからあまり地元のことは知らなかったけど
皆自分の道で頑張ってるんだなって、すごく勇気がでて、励まされたよ。



私の地元の仲間は、中には学生の頃付き合ってた子達もいるけど、その後もずっと男女問わずこんな関係で
私が大阪に出る時も、それまで一人で来た事ない子も代わる代わる家まで来てくれて
旅立つ前日は取り立ての免許で、親の軽トラに乗ってみんなでカラオケに集まって、送別会開いてくれたりした。
(助手席に乗れない者は荷台にはいつくばって警察の目を逃れる)
寒かったな...  ←乗れなかった
その時「〇っちゃん好きよね」って皆で歌ってくれたスピッツの『楓』は、今も私の大好きな歌の一つで、皆のテーマソングだよ。


それからも地元に帰れば声かけあって来てくれたし、
大阪で初彼と別れたと同時にパチ屋の社員になって、速攻強烈なパワハラにあって色んな事に心が折れて数日泣き帰った時も、皆で夜通し田舎道をドライブしながら励ましてくれた。


お父さんが亡くなった時も
その頃は皆結婚して、私も地元に帰る事も減って何年も会う事もなくなってたけどいつの間にか皆で声を掛け合って、35歳の少し歳をとった皆が大人みたいに喪服をきて、神妙な顔で言葉少なに声をかけてくれたこと忘れないよ。


子供にも親戚の叔っちゃん、叔母ちゃんみたいに優しくしてくれるね。


昔は「田舎のヤンキー」とか言われて
付き合う人にもあんまり理解してもらうことは無かったけど
こんな幼馴染たちがいること、田舎に残る選択をして、努力して大切なモノを守り、のびのび自分の納得する人生を歩いてること、今もその仲間の一員であることは、私の誇りのひとつです。


いつもガハハと笑う明るい熊みたいな彼が帰る時少し心配そうに「なんかあったら帰って来ればよかたい。」って言ってくれて
不本意だけど、バイバイした後泣いてしまった。

もうお父さんもいなくて、帰る家ももうすぐなくなるけど
帰る場所はあるんだなって思えたよ。


そんな神妙な気持ちで言ったんじゃないと思うけどね。笑


ありがとう。
まだまだ、未来もたくさん話をしよう!末永くよろしくね。


またね。

2024.6.25 深夜

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