アーカイブーー学生のドライブ 1
インターネットの電波が空を飛んでいなかった時代、ドライブとはどんなものだったのか記録しておこうと思います。
コンプライアンスに則ってすくすく育った「最近の若者」はドン引きするかもしれませんが、記録しておきます。
どうせなら遠出がいいでしょう。
時は199X年(忘れた)、インターネット黎明期。
大学生だった私は、友人4人と大学のスキー実習に参加しました。
実習場所の志賀高原へは現地集合です。学生らしく、みんなで一番安い手段で行こうとなりました。
メンバーは、車を持っているA君、雪国出身スキー初心者のM君、スキー上級者のY君、大学近くに住んでいるSちゃん、そして役に立たない私です。
A君の車にすし詰めになって、神奈川県から志賀高原まで向かいます。
免許を持っているのはA君とY君の2人ですが、運転は概ねA君がします。彼のハンドルさばきは、なかなかのものです。何しろ、毎日200kmほど走っています。
出発は、実習が始まる前日の夜です。
私は、前日にふだんなら絶対にやらないボーリングとその後のカラオケでがたがたの体で荷物を引きずってSちゃん宅へ向かいました。
男ども3人が適当に集合した後、最後に私たち2人を拾ってくれる手はずです。
合流予定の時刻を30分ほど過ぎたころ、1時間遅れると連絡がありました。待ち合わせが2件に、大荷物ですし、どこを走ってくるのだかわかりません。まあ仕方ないでしょう。
結局、彼らの到着まで、それから2時間は待ちました。
乗せてもらうだけの身です。文句はありません。
199X年当時、カーナビは車の標準装備ではありませんでした。
高級品でした。
しかし学生にも関わらず、A君の車には、当時としては大きいディスプレイの最新式のナビが積まれていました。お金持ちというわけではないのですが、A君はいい車に乗っています。車にはこだわる人です。
全員乗り込んでさあ出発、カーナビに行き先を入力します。
「国道で八王子方面へ向かってください」
八王子ではなかったかもしれませんが、それは些細なことです。
A君は嫌だと絶叫しました。来た道を戻ることになるからです。
現代のナビとは違い、経路は一つしか出ません。スマホは存在しておらず、携帯用のナビサービスもまだ無いので、他の道を検索することができませんでした。
緊急ミーティングが持たれました。
今にして思うと残念ながら、紙の地図を見ようという話にはなりませんでした。
神奈川から見て志賀高原は北西方向ですから、そっちに向かっていれば着くのでは、という結論が出たのです。
まあ、カーナビの計画する幹線道路にそのうち乗っかればいいのです。
出発です。
さっそく適当に走り始めます。
経路は無視しても、カーナビは現在地と周辺の地図を出してくれますから、それを見ながら、北西(に出られそうなところ)へ向かう道を行くうちに、A君のスイッチが入りました。
「俺は峠を攻める」
前方にはヤビツ峠がありました。
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峠の入り口に来てもなお、カーナビは八王子へ向かう経路を話し続けていますが、続きはまた今度です。
マガジンにでもまとめます。