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サイコパス

 壁は白く、光は人工ではない。吹き抜けの2階から、天窓のガラスを突き破って日光が降り注ぐ。辺りは木で生い茂っているため、木漏れ日が綺麗な白を浮き彫りにし、綺麗な黒い影を揺らしている。
 光が自然だけのせいか、やはりどこか暗めではある。ただ、この豪奢な家にはこれで十分すぎるほどだった。
 壁には独特の、猟奇的な絵画がかけられ、テレビは映画を観るに最適なほど大きな画面。それを囲むようにして白いソファがコの字に鎮座している。その真ん中にはどっしりと構えた木の机。その下には何の模様かわからない絨毯が敷かれている。全て部屋の右側に寄せられており、左側は何もない。正面は壁一面がガラス張りで森が一望できる。
 玄関近くのロビーで、僕はサッと周囲の情報を目で追った。
 外で見た通り、お金持ちの匂いがぷんぷんする。住宅街から外れ、喧騒からも離れたこの森の中。住民は居ないと思っていたが、それに反して大きな家があったのだ。やはり本物の金持ちは隠れている。「本物」の金持ちとはどういうことかは知らないが。
 まずは外で得られなかった情報を探るため、歩き回ってみる。万が一の時のために、靴を脱いで、靴袋に入れる。これで主人が帰ってきた時に瞬時に侵入者が来ていることがわからないはずだ。手袋は入ってくる前に装着済みだ。
 家の外には車はなかった。元々所有していないことはないはずだ。車庫があったから。乗り物類は空っぽだ。家の主人は今の所いないと踏んで良さそうだ。
 そしてペットもいない。犬も猫もいないのは泥棒にとっては好奇だ。
 入ってすぐのロビーを壁伝いに進んでいく。靴下だけになったため、音も響かない。だが、足早に進む。右側に通路が見えたので、奥へ行くことにした。廊下は短く、すぐに右側に扉があることを確認。正面にもあった。
 右の方のノブを回すとすぐに開いた。中を覗き込むと、主人の趣味部屋なのだろうか。キャンパスとイーゼルが立てかけられており、所々に絵の具がついてカラフルになっている。
 それを避けるようにもっと奥の方には白いグランドピアノが置かれていた。誰もいないことを確認する。
 
 そもそも、ぶっつけ本番で家に侵入している。家族がいるかどうかもわからないため、いつもより慎重だ。
 2階はただの客室や、書斎、寝室だった。寝室には大抵、良いものが眠っているはずだが、そんな簡単に手に入るはずもなく。金庫さえないのだ。
 そう、この家には金庫がない。つまりは大切なものがないとも取れる。それか、こういう泥棒の目を欺くために箪笥や冷蔵庫など灯台下暗しの作戦をしているのか。そう思って探したものの。どこにもない。もしや、主人自身が持っている……?
 ここまで来ると諦めがついてしまう。泥棒は長居すればするほど首を絞めることになる。颯爽と事をこなして、颯爽と去って行かなければならない。ここはハズレだったか。と肩を落として1階へ戻ろうと階段を一段降りた時。

 呻き声が聞こえた。
 獣の鳴き声のような。だけど何か叫んでいるような。くぐもった声で、その声は段々と大きくなる。徐々にその声がどこから聞こえてくるのか理解できるほどに。

 __地下?

 だが、この家に地下があるような痕跡はない。もちろん、床下等は探した。金目の物は無かったし、階段のようなものもなかった。
 もしや、隠し扉や隠し階段、隠し部屋があるのだろうか。
 それならば行ってみるしかない。
 半ば探検に来た少年心に火がつき、護身用のナイフを手に持って、壁を叩いたり、スイッチ等を探してみる。

 数十分してようやく見つけた。
 ロビー近くに飾られている不気味な絵画の裏。小さなスイッチが隠すでもなく曝け出されていた。大体隠すのってこういうところだよな……。と、半笑いをしてナイフの柄でスイッチを押す。
 地鳴りのような音が聞こえたかと思うと、ロビーの真ん中の床が凹み、横へスライドしていく。
 通りでロビーの家具は右側に寄せられてるわけだ。
 先ほど聞こえた唸り声は力が無くなってきたからか、途切れ途切れにしか聞こえなくなっている。
 ロビーの真ん中から下を覗くと、梯子がかけられているのに気づく。地下は暗く、その先は何があるのかもわからない。ただ、冷気が漂ってくるので涼しいのはわかるくらいだ。

 ペンライトを用意して、口で咥えて梯子を降りる。地面に到達すると、横壁にスイッチがあるのを見つける。ロビー床を閉じるスイッチだろうか。開けたままだと怪しまれると思い、スイッチを押す。推理通り、上の扉が閉まっていく。辛うじて日光で見えていた地下は、ペンライトがないと全く見えなくなるくらい暗くなった。
 ペンライトで見える範囲での情報だと、ちゃんと壁や床は舗装されており、1階の豪華な白色とは別の、黒い壁であることがわかる。ツルツルの手触りでひんやりと気持ちいい。
 壁伝いに進むことにする。呻き声も近づいてくる。
 歩きながらわかったことだが、右側には鉄扉が等間隔で並んでおり、それはいくつか続いている。声はこの扉のうちの一つだろうか。鉄扉には窓や穴などで覗くようなところがなく、様子を窺えない。
 しばらく歩いて突き当たり。最後の部屋で呻き声が大きくなる。ここだと確信した。
 鉄扉には鍵はなかった。鉄扉をゆっくりと開けると、呻き声は怯えの声に変わり、ヒッと短く応える。
 僕のペンライトが眩しかったからか、顔を両手で隠して、思い切り体を震わせていた。
 男性だ。少し痩せ気味で、でもどこかで見たことがある男だ。どこだったか……。
 それよりもすごく気にかかる場所だ。先ほどの廊下はひんやりとしていたが、鉄扉の中はすごく寒い。もはや冷凍庫なのではと思うほどに。目の前の怯えている男性は睫毛の先が凍ってきているほどだ。
 それとは別に、僕が目に引くものがそこにはあった。
 最初は豚がぶら下がっていると思っていた。豚肉をここで加工でもしているのだろうかと。大きな肉塊が所狭しと頑丈なフックにかけられてカーテンの如くぶら下がっている。そういえばキッチンの冷蔵庫には肉類はなかったな。と思い出す。
 だが、僕は戦慄した。豚肉じゃない。あれは……。
 目の前の男が騒ぎ出す。よく見ると、汚いタオルで猿轡をされて喋れないようだ。僕が近づくとビクッと震え出したが、それ以上動けなくて震えるだけだった。僕は手を出さない事を意思表示し、手に持っているナイフを鉄扉の外に置く。これで少しは安心したのか、震えは小さくなった。
 男の猿轡を外すと、やっと息ができたかのように大きく息を吸って、すぐに僕へ睨む。
「何者だ、てめえ!」
 泥棒です。と言えるわけもなく、言葉に詰まらせる。恐らく男にとって僕は敵なのだろう。
「何でこんなところに?」
 逆に僕が質問する。この人が家の主人……。な訳がない。主人だったとしても何が起こったのか……。
「知らねえよ、俺はただ街を歩いてたら眩暈がして……。目が覚めたらここに……」
 男は目を凝らして辺りを見回す。豚肉のようにぶら下がっている物体を見ると、吐き気が込み上げてきたのか口元を手で覆う。我慢できたのか、それだけで済んだ。
 聞く限り、男は知らない間に誰かから拉致されたようだ。
 男は怯えた目でこちらを見る。
「お前がここに……」
 それだけは首を横に振って否定させてもらった。
「じゃあ警察か?」
 男の目は期待に染まっていた。仕方なく頷く。もはや敵とも言える組織を装うなんて。
「じゃあ助けてくれよ。ここにいたら絶対……、俺もああなるだろ……」
 男は見向きもせずに言った。それだけで何を言いたいのかはわかる。
 まさか泥棒に入った矢先で見知らぬ人を救助する羽目になるとは。とは言え、犯罪者である僕が言えることではないが……。もしかしなくても、この家の主人は相当な犯罪者ではなかろうか。
 豚肉のような肉塊がぶら下がっている機材を見る。__『ハンニバル』__かの有名な映画のタイトルを思い出す。人を殺してはその肉を食べる猟奇的犯罪者。そのような犯罪者が本当にいるのだろうか……。それに思い至ると足元が掬われる。背筋が冷えて身震いする。
 とんだ場所を標的にしてしまった。

 男の名は浅黄というらしい。僕はいつも使う偽名で挨拶をした。
 名前だけ伝えた後、浅黄を支えながら立たせる。長らく座っていたし、冷凍庫のような寒さのせいで脚が強張っていたらしい。
 浅黄は地下で眠らされており、目を覚ますとあの肉塊を見て怖くなり、猿轡のまま叫んでいたようだ。本当に状況がわからないらしい。ここがどこかも。犯人の目星も。
 何がなんでもここの主人が帰ってくる前に出て行かないといけない。最悪、盗る物を盗らずに死んでしまうかもしれない。泥棒は争いはあまりしない方がいい。ここは諦めて撤退しよう。

 まだ主人は帰って来ていないらしい。梯子を登り、床に座り込む。すっかり冷え切った体は柔らかい日光の光で徐々に温まっていく。
「早く出よう」
 玄関扉に2人で走っていく。ノブに手が届いた瞬間、首筋に針が刺さったかのような感覚がして呻き声を出す。
 一瞬で視界が暗くなり、意識が遠のく。

 __何か音が聞こえる。テレビの音だろうか。
 __金属音もする。

「続けて、〇〇町で男性の遺体が発見されました。数日前から捜索願いが出ている浅黄優さんの遺体と見て、現在身元を確認中です。遺体の側には浅黄さんのものと思われる身分証が見つかっています」
 え……。
 辛うじて重たい瞼を開けて周りを見渡す。視界は全てぼやけてテレビの光しかわからない。頭はぼーっとして働かないが、記憶に新しい名前だけが不吉な言葉と共に耳に届いた。
 それと同時に、自身の現状を踏まえて最悪な予想が頭を過ぎる。
「あれ、強い薬を入れたんだけど、起きちゃった?」
 まだ頭は痛い。男の声が頭で響いて痛い。
「あー、でも何も見えない感じかな。頑張って起きてる? すごい眠そう」
 本当に何も見えない。口を動かして男に何か言おうと思ったが、唇でさえ動かない。麻痺させる薬でも打たれたのだろうか。
「浅黄君ね、君と同じ泥棒を企ててたんだ。僕の家って豪華に見えるでしょ。ゴキブリホイホイならぬ泥棒ホイホイできるわけ。泥棒って悪いことするんだからさ、せめてこのくらい罰を受けてもらわなきゃね?」
 徐々に目が慣れて来たのか、輪郭がわかる程度になってくる。それでも男の顔は見えない。ただ、医者のような白衣を着ているのがわかった。
 テレビのニュースキャスターは浅黄さんのことをまだ報道している。
「遺体は死後2ヶ月ほどと考えられています」

「ねえ、不思議に思わなかった? なんで猿轡だけなんだろうって。手も足も自由。縛られてない状態なんだよ。まあ、あんなところで助けを呼んでいそうな人って、如何にも被害者って感じだよね。演じるのって難しいけど、環境が整っていれば隠し通せるよね。君も警察だって嘘をついたし」
 頭の中で警報が鳴り響くが、体は依然として動かない。恐怖で固まっているのか、薬の影響なのかわからない。
 男はメスのような物を手に持ち、ピンセットも用意する。先ほどから僕の体にその金属を当ててしばらく動かしているのは見える。だけど、痛くはない。麻酔も打たれていそうだ。
「浅黄君の皮膚は僕にぴったりだったね。疑いもなかったでしょ」
 そこで気づいた。男は僕の皮膚をとっている。懇切丁寧に。慎重に。芸術品を愛でるように。
 そしてもう一つ。浅黄さん……もといこの男と会った時に思った、見たことのある顔は、いつかのテレビで映っていた、行方不明になっていた浅黄さんの顔だった。

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