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子供の時から私だけかとおもっていたら。


アリス症候群が、昔ひどかった。


わけが分からなかった子供の頃。

今だからアリス症候群が有名になってなんだったか自分の事を理解した。
でも子供の頃は分からなくてただただ怖かった。
小学校3年生くらいの時は、小さかったのでいつも1番前の席だった。
担任は、怒ると木製の大きな三角定規で叩くような、ヒステリックで怖い女の先生だった。朝から晩までほとんど怒って、皆ニコリともせずに神妙に話を聞いていた。

それはそれは長い退屈な授業。
その時、教室の右端の席に座っていたのだが、時計が左にあった。こっそり先生の後ろの時計ばかり見ていた。いくら見ても時計の針は全く変わらず
「もしかしてあれは止まっているのかもな」なんて思った時、急にそれがおきた。
先生の声はそのままで、目の前にいる事もそのまま。
なのに突然 自分との距離感がおかしく感じ出し、先生の顔が突然豆粒くらいの大きさになった。
はじめてそれを経験した時の、恐怖や驚きの感覚は、今でも覚えている。

女の先生の塗り壁のような厚化粧の顔が、自分の持っているりかちゃんくらい小さく見えた。目をぱちぱちしたり、自分の手を見て大きさを確認しても、視線を戻すと先生の顔は豆粒のままだった。
その現象は、その日以来卒業まで、何度も何度もおきた。

誰にも言えずに日々は過ぎ


大きさが逆のパターンもあった。
家で父に理不尽に怒られている時に、例の現象が訪れる前に感じる、独特の感覚があった。
同じ部屋の対角線上にいた父の顔だけが、異様に巨大に見えた。大袈裟に言うと顔だけが1メートル以上あった。巨大な顔が、説教をしているのを見ると全く説得力がない。
自分に起きている現象にわりとパニックなのだけれど、言葉にして説明するのも怖いので黙っていた。巨大な顔になっている父は少し滑稽で哀れなモンスターのように見えた。
人の顔が巨大化するのも、小学校を卒業するくらいまで何度かあった。


なにもかも、誰にも話さず内緒のままで大人になった。



実はおとなになってからもあった。


百貨店で働いていた時に、自分の担当の商品を飾る台があって、定休日の前日に残業をしてディスプレイを変えた。アンティークの器、古い道具、漆器や陶器やガラス、着物の帯や生の花。雑然とあるたくさんの物。
それを使って、印象的な売り場作りに、頭を悩ませたりしている時、自分が手に持っている物が凄くちっちゃく見えた。
「あー、やばいまたあれだ‼」
気分転換をしてやり過ごせるくらい慣れて、そのうち全くその現象は起こらなくなった。

これがアリス症候群というものだというのは、同じようなエピソードがテレビで紹介されているのを見て初めて知った。




不思議な国のアリスの作者ルイス・キャロルが幼い頃そうだったようで、アリスが大きくなったり小さくなるストーリーは、本人の幼い頃の見えていた世界を書いたのではと言われているという。
原因はウイルス説や、脳の病気という捉え方もあるが、ほとんどが成長と共に自然に収まるとの事だった。


「そうだったんだ。」
テレビを見て長い間の謎がとけた。

私の長女が、完全に同じようなタイプだった。

大きく見える。
めっちゃ小さく見える。
よく言っていた。

でも自分もそうだったので言っている事がよくわかった。
大人になった今もたまに言う。
「あー今あたしアリスになってる。キテルキテルよ。」
「芥川もそうだったみたいだから天才なのかも。」

娘は別に困ってはいないようだ。


ちょっといつまで続くのか心配になったりもするが、私の心配をよそに娘は言う。


「人はたぶんみんな少しずつおかしい部分があって、その濃度の違いだけなんじゃない?」

なかなかに鋭い。
そして、あの不思議の国の感覚が今となるとちょっとだけ懐かしい。





          ココ