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一人一人の命。想い。
コロナによる県内の死者は本日は1名でした。
亡くなったのは80歳だって。仕方ないね。
とにかく減ってきたね良かった。
毎日、命に関する数字を目にしていると、
自分も周りも感覚が麻痺しているのか
こんな会話が交わされたりする。
震災のあった日。
テレビは一斉にその日失くなった、たくさんの方のエピソードを放送し、
それを見ながら思わず涙する。
終戦。
原爆が投下された日。
震災。
思えばたくさんの大切な人が一斉に亡くなった。
たくさんの家族にとって、同じ命日がある。
歳だから亡くなっても仕方ない命など、この世にあるはずもなく、
納得がいく亡くなる理由と、時期が来てからそうなって欲しかったはずだ。
かつて味わった喪失感。
私と夫は30代のはじめに、大切な夫の父との
思いもよらぬタイミングでの急な別れを経験した。
まだ若く、人生経験もなく未熟だったので
冷静に受け止める事は出来なかった。
たぶん、時間が戻せたとしてもどうする事も出来なかった。
なにか出来ることがあったのに、それをしそびれたのではないかとの後悔に長い間苦しんだ。
自分達の無力さに苦しみ、食欲がなくなり、なにを見ても虚しく感じた。
それでも、その頃夫は、幸か不幸か仕事が忙しかった。
私も、一時は精神的不調に悩まされたが、どうにか立ち直ることが出来た。
この時、はじめて人が案外あっけなく死ぬ事を知った。
当然だが、亡くなった人とは二度と会えないという当たり前を実感した。
生きているといろいろなことがある。
泣ける日。上手くいかない日。
つまらなかった日。
いかに、自分が平凡でつまらない人生かと嘆く事ができるのも、
爆弾の音のしない部屋があるから。
テレビでは、たくさんの命が、無意味に奪われる様子が毎日のように流れる。
連日の鬼畜のような、戦場での攻撃を見るたびに、
自分の無力感に押しつぶされそうになる。
戦争の首謀者も、生まれた時は無垢な子供だったはずなのに。
なぜこのような事ができるのか。
子供の帰宅と共にテレビを消す。
一刻も早くこのような悪夢が終わって欲しいと願う。
皆殺し合うために生まれたのではなく
生きるために生まれてきたはずだ。
ココ