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数少ないからこそ忘れられない。父との凧揚げ

昔の空は高く感じた。
家庭を省みない父親だったが、一度だけ一緒に遊んだはっきりとした記憶がある。


とぼとぼ歩く小さいわたし。


小学校で工作の時間にやっこ凧を作った。
明日から冬休みという日。たくさんの勉強道具と一緒に持ち帰ることになった。
私の家は火葬場の隣で学校からはかなり遠い。途中吹雪で、視界が真白な中とぼとぼと帰った。更に運悪く、凧の糸巻きを途中で落していた。今来た道を糸を辿りながら、半泣きになりながら引き返した。

雪の中から糸巻きは奇跡的に発見できたが、家に着くころにはタコ糸はぐちゃぐちゃに絡まり、もうわけがわからない。
骨組みも折れ曲がり紙は破れ、もはや凧として遊ぶのはどう見ても不可能に思えた。もはや凧は、ただのゴミのようになっていた。

半ドンで学校から帰れるはずが、家に着くのがかなり遅くなった。
疲れ切っていた私は、ぼろぼろの凧を玄関に放置したまま、昼ごはんを食べたあと、こたつの中で眠ってしまった。


起きてみると奇跡が。


何時間くらい寝たのだろう。

父の「起きろ」という声で慌てて飛び起きた。
見ると、こたつの上にかなり形を変えた凧が乗っていた。
やっこさんだったはずの形は長方形になっている。
骨組みも補強され、ところどころにつぎはぎの新聞紙が張られていた。
もう二度と戻せないと絶望したたこ糸も、きちんと糸巻きに巻かれていた。
更には、もともとなかったしっぽまで付いていた。

「凧を揚げに行くぞ」

父に言われ田んぼまでの道のりを二人で歩いた。

あんなに吹雪いていた雪は嘘のようにやみ、外は夕方の近づく気配だった。
照れくさいような気持。しっぽのついたおかしな凧を持っていることが、気恥ずかしいような気持で父の後を歩いた。
田んぼに着くと父は、持っているからやってみろと言った。
やみくもに走っても、凧はまったく揚がらない。
父はいつものようにくわえ煙草で
「風のほうさ向かって走れ」と言った。
私は必死で言われたとおりに走った。


つぎの瞬間、私の凧は風に乗って驚くほど高く揚がった。
途中から父と一緒に糸を持った。どこまでも高く揚がる凧は、強い力で引っ張られ、手を離せばもう二度と戻ってこないのではないかと子供心に思った。父と一緒に糸巻きを持つ手が、だんだんしびれる。
少しも緩めるわけにはいかないと、一生懸命持っていた。


子供にとってはこれも奇跡。


普段は酒を飲み、怒鳴ってばかりいる怖い父。
その得意げな顔と、豆粒ほどに小さく空の彼方にいる凧。

あれは私の凧だ。おとうさんは、あんなに壊れた凧を治すほど、すごい人なんだと誇らしい気持ちだ。子供は親が自分のほうを見てくれた時、それが些細なことであっても嬉しいものだ。
父にとっては、気まぐれにやる気を見せた凧揚げだったのかもしれない。

父と一緒に空を見上げている時間は、自分のために作ってくれた貴重な宝物のような時間に思えた。そして40年あまりたっても、覚えている。

凧を治している時間。

父はとても幸せだったのだと思う。


                   ココ