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しつこい。つまらない事こそ許せない。
突然何かのきっかけで嫌な気持ちになるスイッチ。
嫌な事があった時の季節とかその匂い、言葉などで一気に嫌な気持ちが再現される。急なテンションの低下や、突然の不機嫌は女の場合だいたいそれだろう。私にも幾つかスイッチがあって、随分夫を怯えさせているだろう。
嫌な記憶は細部まで覚えているし スイッチを押すと、ひとつの事をきっかけに、芋ずる式に出てくる。
結局、そういうところが嫌なんだよというのがゴールだ。
申し訳なく思う。いい加減自分の機嫌は自分でとれるようにならなくては。嫌なことはお互い様だし、多分私のほうが嫌なやつなのだが、夫は次々忘れてくれるから助かっている。
女にあるしつこい記憶のスイッチ。
私の母の不機嫌スイッチは、生ハムだ。
なにかの拍子に、生ハムの話題になろうものなら、タイムマシンに乗って数十年前まで感情がいっきに過去に戻る。めちゃくちゃくしつこいのだ。
私が高校生くらいの頃、父は連日の飲み屋通いだった。
家族がそろそろ食卓を囲む夕方、入れ違いに夜の街に出かけていた。
過去に1度飲酒運転をして捕まった。
それならいっそのことサウナにでも泊まって帰ってくるなということになり飲に行くと帰宅しないことが多かった。今思うと、そんな自由なシステムを夫に許しているのもどうかしてると思うが、昭和のろくでない親父の典型はこんなもんだ。
父は、お歳暮か何かの詰め合わせのハムを仕事場でもらい、それを持ったまま飲み屋に直行した。美味いハムがあるから食べろと馴染みのママにあげた。その中に当時はまだ珍しかった生ハム。ママがその場で開けて、みんなで食べたらしい。
父が家にいるとき偉そうに家族に言った。
「おい、生ハムってうんんめえもんだぞ。」
母が尋ねる。
「ふーん。いつ食べたの?」
言わなきゃいいのに、結局、ぜんぶ話す。
「そんなうめえものを飲み屋の姉ちゃんに食べさせるんだ・・・」
とんだ地雷だったのだ。黙っていればいいのに。母の文句。
そんなに珍しいものを家族に持ってこないその気持ちが許せない。
父が言う。
「なんだハムくらいで。お前バカじゃないのか。」
「そんなに食いたきゃ買ってきて食えばいい」
なんか違うのだ。
お馴染みの飲み屋のママは父の同級生だった。幼なじみのようだった。
色々、母としては複雑な気持ちもあっただろう。
普通の父親とは、立派なハムをもらったら、まずは妻や子どもに持ってくるもんじゃないのだろうか。珍しい生ハムなんて、1番に食べさせたいのが愛する妻や我が子であって欲しい。
軽い気持ちだったハムの話。
飲み屋での披露がずいぶん大げさな話になっていた。
「食べてみればあんまりうまいものでもないよ」と母に言ったが、別に食べたいわけでもないようだ。
ハムが食いたかったと怒っているわけではないようだ。
母は70歳過ぎた今になっても、生ハムを見る機会があるとあの時の恨みを言う。そして私は「でた!生ハムの恨み」とわざと笑い話にする。
母の生ハムスイッチがうっかり押される。同時にどんどん怒りのボルテージが上がる。ひとしきり怒ると最終的に親になり切れなかったんだ、あの人はとため息をつく。気が済むまで怒らせておけばいいのだろうが、うんざりしながらうっかりスイッチを押してしまったことを悔やむ。
家族を、母を1番に考えてない夫だった。
でも当時はそんな時代でもあったしそんな父親も多かった。
最終的にうまくいけば、ハムぐらいどうってことない笑い話にもなっていたかもしれない。
やはり父は家庭がむかなかったのだろう。父はおそらく生ハムのことなんて、とっくに忘れている。
女だからこそのこのしつこさ。
母はろくに食べた事がないくせに生ハムが大嫌いだ。
そして自分もたぶんこのしつこさは遺伝している。
スイッチを自分で押さないように気を付けなければと注意している。
ココ