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型がなければ「型破り」はできない

現在、「生き方、在り方」をとことん追究した継続プログラムを受けていただいている方々が数名いらっしゃる。

その中で出てきた話し
「型は適当でよいし、そんなの必要ない」
型は必要ないのか?

「型」がなければ「型破り」はできないと個人的に考えている。

ピアノのレッスンは
指の形の基本中の基本は
習い始めたときに徹底的にレッスンを受けた時代の人間なので特に「型」は大切と痛感しているのだ。

先日ネットで
狩野英孝さん、ココリコ遠藤さん、勝地涼さんの3人が
「カエルの歌」の替歌?を歌ってるのを見つけた。

「カエルの歌」という歌は子供も知ってる歌。
それをクセたっぷりに歌い、クセがすごいと思わせるのは「カエルの歌」の原型
つまり、型があるということなのだ。

型がなければ「カエルの歌」をどれだけクセたっぷりに歌うとしても笑いにはつながらないだろう。

型など最初からいらない。
と豪語するのは、果たして?

型がなければ
型破りも、次に創造していくこともできないだろう。



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