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そもそも神社は願いを叶えるところではないのでは?
神社というところを
神様という存在を
「願いを叶える」場所という
考え方を私はしたことがない。
神様には「感謝しか伝えてはいけない」という考え方を私はしていない。
じゃ、何しに神社へいくのか?
神様になにを伝えるのか?
感謝しか伝えなくても
勝手にありがとうは溢れているし拝殿、神殿に行く前から
正確には家を一歩出た瞬間から
「ありがとう」は始まっている。
もっというなら、神社に行かなくても家にいて、朝起きた瞬間から
「ありがとう」は始まっている。
と、私は考えている。
あくまで私は考えているだけの話だ。
何度も何度も何度も
身体を壊し、午前11時に退院したかと思ったら夜の9時に再入院なんてことを繰り返してきたし
子供を授かり生むことができたのだって、奇跡であり、当時の主治医や医療スタッフのお蔭であり、妊娠中のできうる限りの加療に
堪えてくれた息子の命のお蔭。
その根底に神様や仏様や御先祖様の御加護があることは紛れもない事実。
神様はいつも優しく見守るだけの
存在でもないと私は心得てる。
(実際、見護って寄り添ってくださったからこそ苦しい経験ができているのだ)
願いを叶えてほしいと神社に
私自身は行けなかったが、誰かが私のことを心にかけてくれたのだと私は今も信じて疑わない。
「お蔭様」で今も生かしていただいている。
神社にいって願いを叶えるのではなく、神社にいって心がけを新たにする。
神様に喜んでいただける生き様
自分の在り方を心がけるほうが
願いも叶うのではないだろうか。
神社という場所を
神様という存在を
「パワースポット」という捉え方から今年は脱するのに良いかもしれないと感じる朝です。