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わたしの作られ方 続き


わたしが今やっていることと
なぜ、そんな考えや行動をするようになったのか
そのきっかけの話を前回書きました。

わたしは、臨床検査技師という職業についていて
(色んなジャンル、放射線を使わない「検査」と名のつくものは
だいたい検査技師が行っています。)
主に人と接する検査、わかりやすいのでいうと心電図とか
超音波を使って腹部や乳腺を検査していました。

症状があって受診する人と
健診で受診する人といるのですが

人間ドックとか健診に来る人と話していると
なんで健診に来るの?の答えはさまざまですが
多かったのは
「不安だから」
病気になったらどうしようってずっと考えてる人が多くて
もしかして何かあるんかもって不安を常に抱えてる人もいるし
「あなたは健康ですよ!大丈夫!」
っていう安心を求めてきてるんですね。

なのに、普段は忘れてていいよレベルのものを
認識しちゃったが故に、これから1年また新たな不安と共にスタートする人もいたり、わざわざ不安要素探しにきたのか!?と思うような

安心したいけど、不安も抱えていたいみたいな人たくさんみてきました。

どんな小さなものでも見つけるわ!!というただただ自己満足のためにやってた検査から、受診してくる人が何を求めているのかというのを見極め、その都度担当医と協議するやり方に変わりました。

もう一つ、気になっていたのが若い世代の人たちのドック受診。
この人たちは、いわゆる不定愁訴を抱えていました。
なんかしんどい、なんか寝られない、なんか足が痺れる・・・

病院に行くにしてもどこに行ったら良いかわからないから
人間ドックでいろんな検査をして原因を突き止めたい人。

当然、検査結果には反映されないことが多く
「異常なし」の結果を不服そうに、落ち込んで帰っていく若者に
何もしてあげられない自分がもどかしく思ったりもしていました。

予防医学とは、早期発見→小さいうちに治療ではなく
そもそもそうならないための暮らしや食事の整え、考え方だと思うし
東洋医学でいうところの「未病」の段階をどう捉えるかなんですよね。
白か黒か見たいなのではなく、また、社会背景も大きく変わる頃でしたのでちょうど出産も重なったこともあり、現場を離れることになったんですね。

次の就職先はなんと生涯学習センターのコーディネーター

まったく違う職種ですが
嗅覚喪失事件以来、自分を知るということをしていったんですが、そうすると、同時に社会のことに目を向けていくことになります。

政治のこともそう、環境のこともそう
自分と暮らしに目を向けていくと、必然的に繋がってることに気がつくわけです。

それで、勉強会、ワークショップ、講演会、ママ会などをしたり参加したりしていたわけです。

今の土地に引っ越してきて、2年目の夏
西日本豪雨災害があり、車で15分ほどの市内の一部は
数千箇所の土砂災害に見舞われました。

このとき、自分の意思とは違う何かも働いていたのかも!?
というような動きと出会いがあり
いつか機会があれば書くかもしれませんが
この土地で、人の輪が広がった出来事でした。

炊き出しや必要なものを届けることをしているとき、誘われました。

やろうって^^

行政の中に入ると窮屈なことや
これまで民間では考えられなかったような縛りもあり
自由ですが、不自由さも抱えつつ
ワークショップやら講演会やらさせてもらいました。

わたしの楽しい!と
一般市民の楽しい!がなかなかマッチングせず
行政の施設で、ただただ仲間と楽しいことやるというような
一見、職権濫用のようなことしていましたかもしれません

感染症の影響で、イベントごとができなくなると
わたしのような非常勤は契約解除になるわけですが

わたしが離れた後
わたしがやりたかった、伝えたかったことが
一般の人たちにも受け入れられるようになってきて
興味づけしてきてよかったなと思ったことです^^

そしてまた、3年前から密かにやりたかった
市民による市民のための学びの場、市民大学を始めることになり
生涯学習センターと関わっていくことになりました。

空白の2年間の間も
ご縁はつながっていき
視野や視座はまた一気に広がっていっています。

わたしがやりたいことはなんなのか
いくつかのコミュニティに所属していると
わからなくなりそうで

依頼のあったことには
はい、yes,喜んで
でお受けしていることもあります。

私を選んでくださっていることは
とっても嬉しいし、感謝しかないですね。

だけど、そうすると
あれ、私のやりたいことって・・・って
ふと思うこともあったりするわけです。

そのところをちょっとずつ紐解いてみようと思います。
続く





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