シェア
白石 裕子
2021年6月7日 07:52
地域資源と学校教育東京を後に中小企業の仕事にわくわく感がとまらない日々を過ごしていましたしかし、そろそろ夫の転勤があるころ上の子の進学のことも気になりましたが、考えても仕方がない。新しい土地でも自分の社会的役割をみつければいいだけ。そして東京を離れることに。条件つきで指名される働き方東京から山口県に転勤。そこでも私は自分の社会的役割を常に意識することにしていました。中小企業の面白さも忘れら
2021年4月17日 07:09
頑張っているお兄さん、お姉さんが幸せそうにみえなかった時代亡くなった私の父は中学校の教員でした。社会科が専門だったようですが、私の記憶にあるのは、特別支援学級の担任として学校に通う父の姿でした。その当時、特別支援学級(通常の学校にある特別支援学級)はなかよし学級とよばれていました。父が勤務している学校は田舎の学校で、夏休みこどもたちがいない学校によく連れて行ってもらいました。夏休みですが、学