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長い文章が読めなくなった

イコール長い文章が書けなくなった。
日々考えることや課題は沢山あるのにふわっとしたまままとまらず、時間は爆速で過ぎていき、想定しない色んな出来事があって、結論を出すのが果たして今の自分にとって必要なのか分からなくなった。
文章で残しておきたいのは、自分のためであって、1ヶ月後、1年後と読み返して色んな感情に耽りたいからで、誰に求められているわけでも期限があるわけでもないけど、この自分の要求を自分がクリアできないところに意外とがっかりしていた。
入ってくる情報とそれに対する自分の感情が全く追いついてなくて、入ってくるものはヘビー級のものばかりでいつもパンクしそうだった。というか半分壊れててそれを隠すのに必死だった。もう終わったからよく乗り越えたなと褒めたい気分で、その時のことも文章にしようと思うけど、きっと忘れることはないから文字の起こすのはやめよう。
こんな感じで書かなかった。
立ち止まる選択肢はなくて、いつの間にか疲れているのにも気付かず、寝落ちしてしまうから長い文章を読む気力が残っていない。隙間時間で読もうなんてできなくて、フィクションの世界にも飛び込めない。リアルなブログの文章もあまりに皆輝いているようで目を背けたい。
こんな感じで読めなかった。

その時の感情を時系列で残しておきたくてTwitterの140文字はかろうじて呟けた。
そしてその呟きに自分でウケた。1年前まで遡ると、確かに自分なんだけど別人のような、これを成長と呼ぶのかは分からんが、笑えるぐらいの思考の変化があった。

金原ひとみさんの書評を読んでいたら、久々に長い文章を読みたくなって、そしたら書きたい気持ちになった。無駄のないかっこいい言葉たちが並ぶそれとは大違いで感情ダダ漏れのやばい文章ではあるけれど、書いてみた。ようやくようやく長いトンネルを抜け出せそうなところまできたから、吸収する余白を作る為に書いてみた。こうしてアウトプットすることで、長い文章を読めるようになるのでは、学びたいことに没頭できるのではと思っている。小さな綻びが予定していたことを予定通りにいかなくさせ、その原因をきちんと責任とってやってこれたこと、そうして見えた世界があったこと全て悪くないと思いたいしとにかく休みたい。韓国料理を食べたい。
チャレッソ。

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