見出し画像

遅咲きの新人〜人っていいもんだね〜

音楽が始まる。私の周りでぐるぐると渦を巻いて、こっちへこいと煌めいてはその甘い鱗粉のようなもので私の鼻先をくすぐる。一緒に音楽しよう、創ろう、一緒にこんなもの作ろうよ、お店でライブしてよ、うんそうだね、でも待って待って追いつかないよ、だってまだ私、人生リスタートしたばっかりでいろいろおぼつかないしだなんて言い訳に聞こえてしまうくらいに、音楽が私を呼んでいる。”またまた、本当はもうやりたくてしかたないくせに” なんて見事にこちらの胸の内を見透かされて照れ笑いしながら、ふと思う。

元来人が好きで、いつしか嫌いになり、末に排除し、孤独と愛し合い、結果死にかけ、再び少しずつ人を好きになり、今や元来のそれを優に超える勢いで人が好きな私の変化を振り返ったとき、とても大きく大切なきっかけがあったそれを、大切に慈しみながら綴ってみたい私の今日は、セミがミンミンなクラウディデイ。


うーん、恐らくは38か39才あたり。長く通院していた精神内科を卒業して少し経った頃、社会復帰への第一歩を踏み出すべく、近所のFrancfrancでアルバイトをしようと面接に行った。落ちた。敗因は謎(これ教えてくれたほうがいいよね)。最初はこんなもんか、と思っていたらその直後そのお店は閉店していたので、ギリ受かってた事とするくらいにはタフさが戻っていたかもしれない。

二歩目、電車で3つくらいの街のデパート。歩いていける距離がよかった病み上がりの弱気な心に、電車というものが立ちはだかる。面接に行った。電車の中で気持ち悪くなった。駅のホームで吐いた。デパートに着き、エレベーター内でまた吐いた。あれ、おかしいな、この前はいけたのにまた戻っちゃったのかな。不安の中、面接を受けた、落ちた。これはきっと、情緒が不安定すぎるのをしっかりと見抜かれたが故でしょうね。

三歩目、また電車で2つくらいの街のデパート。ファッションなら自信あるんだ、大好き。面接もキリッと受けた。受かった。じゃあ明日からねってことになって出勤。お店のスタッフみんな年下レディー。なのにみんな私よりテキパキ仕事してる。ものすごくものすごく、仕事ができる。「商品が納品されたら伝票と照らし合わせて確認します」納品?伝票?難しそう、あれ、私こんな事できるのかな、でも昔やったことあるよな、あれ、おかしいな、できないかもしれない、できる気がしない、帰りたい、もう行きたくない。もう行かなくなった。ひどく迷惑をおかけしてしまった自己嫌悪に泣く。

四歩目、ひとつ隣の駅の飲食店。面接受ける、受かる、明日から出勤。スタッフ皆様、気さくで優しい。私の特殊な前職 ”プロの歌手と音楽活動” の話も屈託なく聞いてくる。そんなことあったのー?そうなんですよーあははー、いやしかしすごいよねプロってー、とんでもないですー、嫌な芸能人とかってやっぱりいるのー?.........あー、あはは。帰りたい。人って好きじゃないな、話ができる気がしない。もう行かない。行かなくなった。もともと広くはないよ、でもここまで私の心とは狭いものだったか?わからない。まだダメなのか。でももう止まっているのには飽きたんだ。

五歩目、ひとつ隣の町のデパートの地下。もう職種なんてなんでもいいや、近所で、仕事内容も普通であればなんでも。電話面接を受ける、前職聞かれる、ここからは逃れらんねえんだな、答える、もう一度同じ事聞かれる、答える、ダメなのかな、元芸能人って世間知らずでわがままで地味な仕事なんか出来ないって思われてんのかもな、あれ、次はそちらで面接、はい行きます、面接受ける、終わる、大きなため息うっかりつく、はは、緊張した?と笑われる。

心配なことや不安なことはありますか?はい、一点だけ、私の前職は特殊なものだと思うのですが、その前はいろいろなアルバイト経験があります、世間知らずなところもあるかとは思いますが仕事はきちんとする自信があります、でもここの皆様にやっぱりね、元芸能人はこれだから、なんてことになりませんでしょうか、そこだけ不安です、前回のアルバイト先でそのようなことがあったものですから。

うん、なるほどね、でもそれは実際に一緒に仕事してみないとお互いわからないところですよね、正直私もそのような前職の方は初めてでして、でもフォロー出来るところはしていきますし、必要な知識も仕事内容もきちんと教えます、今からそんなに不安に思うようなことでもありませんよ。

この人、好きだ。そう思った。その日のうちに連絡が来て受かった。デパートの研修を受けてから、後日初出勤してから今日まで、デパートガールな私の仕事は続いている。41才女性、前職歌手、離婚経験あり、5年ほど休職期間(うつ病療養期間)あり。これだけの不穏な材料が揃った人間を、あなたが経営者だったら雇いますか。私だったら雇わないかもしれないや。リスクは避けたいもの。でも今の職場のトップはこんな私にチャンスをくれた。もうその喜びで、がんばるぞー!と意気込んだ遅咲きの新人は、去年ほんのり昇進し、さすがのトップの下で働く素敵な仲間達と日々よそ行き声で "いらっしゃいませ” と美声を響かせている。


画像1

大好きな麗しのゆうこりん先輩は、私の分のヨーグルトに名前を書いてくれる。他のみんなのは普通に名字だけなのに、私のはなぜかフルネームで笑う。好きがダダ漏れだな、それもそうか、私も大好きだからそりゃ、好きの応酬になるよな。クソ暑い夏場でも左腕の傷を隠すために長袖でいた私に、暑くないの?いやでもほら昔死のうとした傷があるんで、あー、テーピング巻けば?熱中症で倒れちゃうよ〜?なんて素敵な優しさをくれた人。人の心の機微がわかる、ドライであたたかい人。


画像2

また別のゆうこりん先輩は、私の事を小林ちゃんと呼ぶ。やると決めた時の小林ちゃんの動きのキレの良さよ、といつも私を褒めてくれる優しい人。試食用にあったいろんな味のおかきの中に1種類だけ唐辛子味があって、食べた時の感想を「ロシアンおかきか!!」と表現するあたり笑う。私が脳腫瘍で入院する前日に、がんばっておいでね、と泣いてくれた愛溢るる人。


41才の冬から遅咲きの新人は元気に働き、その年の夏に脳腫瘍が見つかって入院することになり、4ヶ月しか働いていないのに3ヶ月休職せざるを得なくなった2018年の6月。まだ大して戦力にならない私の帰りを3ヶ月待つよりも、新しい人を雇ったほうが会社にはよかろうと、辞めさせて頂こうと思っている事を素敵トップに伝えると、あなたはうちに必要な人なので待ちますから、元気になって帰ってきて下さいと言って頂けたあの日、嬉し涙に濡れたあの日を、私は一生忘れないだろう。マイナス1のまま、いつもより忙しく100人分働いてお店を回した凄腕仲間達は、私の一生の仲間であろう。

術後フラッフラで帰ってきた私を「来たね〜」と笑顔であたたかく迎えてくれたトップ3、病み上がりは3時間しか働けない上に大した仕事ができない私をフォローしてくれたオッティ先輩、右耳失調に慣れず、呼ばれても相手がどこだかわからずにキョロキョロする私に「こっちこっち」と大きく手を振ってくれるはもれなく全員、「何度も呼んでるのよ、あなた耳でも聞こえないわけ?!」とお客様に怒鳴られて、事務所の奥で悔し泣きにむせぶ私に、「ああいう人ってどこにでもいるよね〜、気にしないのっ」と肩をさすってくれたエリリン先輩、「小林さん、このおまんじゅう好きでしょ、あげるよ」と甘いものをくれたコヴィ先輩、「キャナーコ〜ゥ、調子悪いならあがりなよーぅ、私やっとくよ〜ぅ」と、いつも外国人のカタコト日本語ごっこで遊んでくれ、残業してやんよ的な優しい男気溢るるキヨーコ〜ゥ先輩、あぁきりがない。もらった愛なら枚挙に暇がない。

元気に楽しくいい仕事をして、お返ししていく所存です。もれなくちゅーしたいくらい大好きです。今度ご飯会ができたらその時は、酔ったふりをしてちゅーしてしまおうと目論んでいます。私はここに来て、人っていいな、好きだなあったかいや、もう一度、そう思えるようになりました。相手を信じることの強さを教わりました。全力でお応えしていく所存ですので、もうしばらく。どうぞよろしくお願いします。

次の夢ならある、もうあと一歩のところまできてる、そこへ行くことはもう決めてる。でももう少し、このあたたかい場所にいたいと思うのも真実。人生とは煌きと涙で出来ている、かも。


著者の愛猫近影

画像3


読んでくれてありがとう。好き。


いいなと思ったら応援しよう!