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いつまで経っても母親としての自信が持てない
子育てが始まってからずっと私の心をかき乱していた「母親としての自信が持てない」という感情。
どこに向かってどのように進んでいけば良いのか全く分からず、暗中模索でジタバタしていたのですが、最近少しずつこの気持ちの正体が分かってきたように思い、書いてみることにしました。
子どもが生まれて「ほとんど何もできない状態」からのスタート
現在、娘は3歳半になりました。
夫やヘルパーさんの手を借りながらの育児、私ができることは何かを考えながらの3年半でした。
新生児の頃は、産後体調が悪かったこともあり、授乳以外ほとんど何もできず、分かっていたことながら自分の無力さに落ちこみました。
「物理的なことが無理なら情報収集で」と考え、0歳児の頃は母乳育児や離乳食の栄養バランスにやたらとこだわったり、育児本を読みまくったり、保活に精を出したり、なんとか私なりに母親という役割を獲得しようともがいていました。
子どもの成長と共に少しずつできることが増えていきました。
新生児のときは誰かに乗せてもらって数分しかできなかった抱っこも、首が座ると数十分できるようになり、いつの間にか娘が自分でよじ登るようになりました。
全くできなかったおむつ替えも、娘が立てるようになると「自宅」という環境ではできるようになり、最終的には娘と二人で出かけた外出先でもできるようになりました。
すべては娘の成長と、私と一緒にいたいと思ってくれる娘の欲求に助けられたと思います。
娘の年齢が上がるにつれて、物理的なケアよりも精神的なケアの方が割合を増していき、家庭内での労働力として、ある程度担えるようになってきました。
試行錯誤しながら、ヘルパーさんや夫の手を借りずに、娘と二人で過ごせる時間や場所が増えてきて、ずっと感じていた罪悪感の重荷が少しずつ下りていくような感覚でした。
自分がおかしな方向に進んでいると気がついた
しかし、いつまで経っても「母親としての自信が持てない」ということが頭をもたげるのです。
そして同時に「母親としての自信を持つ」ことの歪さも感じ始めます。
娘が2歳になる頃、保育士資格を取得しました。あくまで娘との生活をより良くするために勉強するというポリシーのもと、娘との時間は削らず、娘が寝たあとの1日1時間を勉強時間に充てると決めて試験に臨みました。
保育士資格を取ってみた理由は、子どもについて体系的に学びたいという気持ちがあったことと、勉強する上で分かりやすいゴールが欲しかったこともあったと思います。
知識を身につけることで、娘の成長を楽しんだり喜んだり噛み締めたり、家族間の関係性をより安定したものに導くことができたので、勉強をしたことはよかったです。
ただ、私は娘や家族のためではなく、社会に向けて「障害者でも良い母親になれる」と証明するために、保育士資格を取ろうとしたのではないかと気づき始め、自分に対して気持ち悪さを薄々感じていました。
私は純粋に娘に向き合って育児しているのではないのではないか。
「社会に向けて、障害者でも良い子育てができていると証明したい」という思いが頭の片隅にあり、それがノイズとなって、私と娘との間に横たわっていることが嫌で仕方ありませんでした。
このノイズを消したい。どうしたら消えるのだろう。そんな思いでいっぱいでした。
多くの人は自信を持てないことを気にしていなかった
何人かの知り合いや友人に、母親としての自信が持てない感覚について話したことがありました。
そこで気づいたのは、多くの人はそもそも自信の有無をあまり気にしていないということでした。
また、「自信があるかと聞かれたら自信はずっと持てない、これからも持てないと思う」と教えてくれた方もいました。
たしかに、よくよく考えてみると「母親として自信がある」と胸を張って答えられる状態の方が危うい部分があるのではないかと思います。
私の問題は「母親としての自信を持てない」ことそのものではなく、「母親として自信を持たないといけない」「育児に不安を持ってはいけない」といった強迫観念のようなものだと気づきました。
この強迫観念はどこからきたのでしょうか。
おそらくそれは、妊娠9ヶ月のときに受けたバッシングが関係しているのではないかと思いました。
自分の妊娠出産が全否定された経験
妊娠9ヶ月のときに某TV局の取材を受け、私の妊娠出産がニュース番組に取り上げられました。
思い出すのも苦しいのですが、そのニュースがWEB上の記事となり、「障害者は子育てが満足にできないのに、なぜ産むのか」「親が障害者なのは子どもが可哀想」といった旨のコメントが800件以上寄せられました。
この出来事の中で、私が最も耐え難かったのは、子育てを控えた自分の不安を言い当てられ、それを根拠として私の妊娠出産が全否定される、ということでした。
実際には、子育てに関する不安なことに対して、できる限りの準備はしていました。それでも初めての育児、不安なことには変わりありません。
あの数々のコメントを読んでしまった夜、お腹の子どもと一緒に消えたくて消えたくて仕方のない気持ちになりました。
私はあの夜、自分の妊娠出産を続けていくことに整合性を保つために、言い換えれば、障害者なのに子どもを持つことを肯定するために、不安を抱える自分に蓋をしたのだと思います。
「母親として自信が持てない」と感じる自分を、許さないことにしたのです。
そこが「母親として自信が持てない」と事あるごとに悩み続ける日の始まりだったのだと、最近ようやく気がつきました。
あのとき取材を受けなければ、コメントを読まなければ、もっと自由な気持ちで子どもと過ごせたでしょう。
あのとき受けた傷を理解するまでに、3年半もかかってしまいました。取材を受けなければ良かったと心底後悔してしまうのです。
ポジティブ・ディシプリンとの出会い
ここまで言語化できるまでに、あるプログラムとの出会いがありました。
ある日、私は区からのメールで「ポジティブ・ディシプリン」という子どもの保護者向けのプログラムの参加者を募集していることを知りました。
『ポジティブ・ディシプリン(R)』とは、「こんな時に、子どもにこうすればよい」という子育てハウ・ツーではなく、養育者自らが、子どもに教えるより良いアプローチを見出すための「考え方」を提案するプログラムです。
このプログラムは、週1回、2時間×9回の18時間かけて、参加者自らが子育てについて考える時間を持ちつつ、グループワークで多くの子育てのアイディアに触れ、子どもの健やかな発達と学びを促すような前向きな子育てを繰り返し練習できる、といった趣旨のものでした。
これまで、子どもとの関わり方については独学に近い形だなと思っていたので、ファシリテーターが長期間にわたって伴走してくれるところに魅力を感じて申し込みました。
ポジティブ・ディシプリンを受けたことで、良かったことは2つありました。
1つ目は、自分が抱えている問題を明らかにできたことです。
プログラムの中ではファシリテーターや参加者の他のお母さんたちの前で、自分が子育てについて感じている不安を口にする機会がありました。
私はそのとき、不安を口にすることにとても抵抗があったのです。自分が「子育てに失敗も不安もない良い母親だと、人から見られなければならない」という呪縛に囚われていたのだと、そのとき気がつきました。
そして、他のお母さんたちの話す姿を見て、もっと自由に不安を口にしていいのだと実感しました。
ポジティブ・ディシプリンは単なる講義形式ではなく、参加者が発言する機会が多くあります。対話の中で、自分が何を感じたかを自問自答する過程で、自分がどんな親で、どんな気持ちを抱えているのかが浮き彫りになったように思いました。
2つ目は、ポジティブ・ディシプリンのその場では、私は「母親」としてそこに存在していられたということです。
プログラムの中で子育てに関しての日々の悩みをお互いに話すことで、障害の有無、仕事の有無、子どもの気質など、状況は違えど、それぞれの母親がそれぞれの環境やできることで、日々育児に向き合っているのだと実感できました。
私はどうしても障害のないお母さんと自分を比べてしまっていたのですが、私は自分のできることを頑張ればいいのだと、腑に落ちたように感じたのです。
週1回のポジティブ・ディシプリンと、日々の子育てを往復する中で、少しずつ少しずつ「母親としての自信の有無」にこだわらなくなってきました。
それはおそらく「障害者は子育てができるか」といった論点ではなく、「子どもにとって私はどのような母親であるか」という論点で、繰り返し思考できたからだと思うのです。
いつまで経っても母親としての自信が持てない
それでいい。それがいい。
ポジティブ・ディシプリンは、子育てについて悩み、子どもについて日々考え続けることの豊かさを私に教えてくれました。
これからも不安は尽きないですが、こうしてやっと言葉にできたことを忘れないように、残しておこうと思いました。