記録(3/18 - 3/19)
このところ、〈ご褒美〉と称していろいろなものを自分に与えている気がする。コーヒー、チョコレート、アート、コンサートなどがそれにあたる。
今回は、ライブチケットとホテルを与えてニュージャージー州のレッドバンク (Red Bank) という港町を訪れたことを書きたい。
でも、一番残しておきたいことを先に全部書いてしまおう。
ビリー・ジョエルのライブをもう一度見るために、レッドバンクのコンサートホールを訪れた。200人規模の会場で、彼は私と目を合わせ、ハイタッチをし、最終的にはツーショットを撮ることになる。それ以上は何もない。もう、今この一行を書いているだけでもそのときの Excitement が頭からつま先にまで蘇ってくる。何度でも思い出すために、書いてみたい。
ライブ
時には昔の話をしたい。高校から軽音楽部に入った私は、ライブハウスという場所に足繁く通った。毎週末ライブをする月もあれば、3日連続で誰かのライブを見に行く週もあった。大学2年からはライブハウスで照明のアルバイトをしつつ、友人のサポートで自分がステージに立つこともあった。
2019年までは生活の中にライブがあったが、2020年から状況が変わった。決まっていたライブが中止になり、年間を通して1度もライブをしない初めての年になった。そのために、ドラムを叩く機会も、人の演奏を見る機会もなかった。2021年の暮れにはギターを携えてオープンマイクに行くことができたけれど、やっぱり、アンプから鳴るギターの音や空気を振動させるドラムの音が恋しかった。
そんな恋しさを抱えながら、今年の2月にマディソン・スクエア・ガーデン (Madison Square Garden) でのビリー・ジョエルのコンサートに訪れたのだった。エネルギーの塊みたいな彼の演奏に感動し続けたあとで、ふたつの物足りなさを覚えた。
ひとつは、20,000人規模の会場で私が見ていたのは生のビリーというよりはスクリーン上の彼で、私が聞いていたのは3階席に一定の間隔で設置されたスピーカーからの音だったこと。
もうひとつは、演奏中はビリー以外に7人の演奏者の音が聞こえているはずなのに、私の耳がそれらを認識できなかったこと。もしかすると、私は「音を聞いて音を認識する」のではなく、「演奏者を見て音を認識している」のかもしれないと思ったこと。
これらのことが、私を再び彼のコンサートに導いたのだった。
レッドバンク
レッドバンクのカウント・ベイジー・センター (Count Basie Center of the Arts) を訪れた。
20,000人規模のドームから、200人規模のホールにワープし(た感覚になっ)て、私の空間認識能力がおかしくなったように思われた。
幸運にも、私の席はビリーがピアノを弾くときに視界に入るであろう位置だった。なんとなく手持ち無沙汰で、ワインを飲みながら会場を見渡すと、私の前の席に腰掛けた男性の上着が椅子から滑り落ちるところだった。「Excuse me, Sir. 」と声をかけて上着を差し出すと、彼は目尻を緩めながら「Thank you. 」と言って、その上着がもう落ちないように慎重に椅子にかけていた。
白髪をオールバックに整えたその紳士に、とても好感を覚え、自分の緊張をほぐすために話しかけてみた。その紳士には連れ添いの方がいらしたが、私との会話をしばし楽しいものにしようと気を配ってくれた。
私たちの話が途切れるのを待っていたかのようなタイミングで、BGMがフェードアウトし、先ほどまでCMがループしていたスクリーンが上がり、ビリーが登場した。
ビリー・ジョエル
当日の自分のメモをもとに、セットリストを作成した。
その日に初めて聴いた曲もあったので、もしかしたら不完全かもしれない。
(例によって Spotify のプレイリスト もあります)
今回は曲ごとではなく、残しておきたい3点のみについて書きたい。
①目が合った
6曲目の「Allentown」でのこと。
彼の発する後部歯茎摩擦音(強い「シュッ」のような音)がやっぱり好きで、1回目から拍に合わせて手を上げつ歌いつしていると、2回目(間奏)の同じフレーズのところでビリーが私のほうを見た(ような気がした)。さらに3回目のときに、ビリーが片手でVサインを作り、それを彼自身の目に指したあと私のほうに向けた。「見てるよ」のサイン(!)。ビリーに私の存在が認識されて口角が痛いほど上がった。
そして曲の終わり、私のほうを見ながらマイク越しにこう言われ、心臓を射抜かれたのだった。
②手を合わせた
休憩を挟み、15曲目の「Keeping The Faith」が始まったとき、ビリーがピアノから離れてハンドマイクになった。2拍目と4拍目に手拍子を促され、自分がドラマーであったことを誇らしく思いながら揚々と手をたたいていると、前列の席に座っていた人たちがどんどん立ち上がって、ステージの目前で踊ったりビリーに向かって手を差し出したりしていた。
――今はそういうことをしてもいい時間なのか!
と思った。慌ててわたしも席を立った。隣に居合わせた長いブロンドヘアの女性があまりにも自由に踊っていたので、私も純粋な気持ちで踊ったり動いたりしていられた。するとビリーがこちらへ来る。思わず手を上げると、ハイタッチしてくれた――だけではなく、先ほどのVサインをまた作り、私のほうに向けてくれたのだった。ビリーに私の存在が認識されて口角が痛いほど上がった(2回目)。
③言葉を交わした
20曲目の「Piano Man」で終演。余談だが、歌詞の “It’s a pretty good crowd for a Saturday” の「Saturday」がその日の「Friday」に置き換えられて、会場が湧いた。私も沸いた(体内の水分が沸騰する感じに)。
会場が明るくなり、オールバックの紳士と、休憩中に話しかけてくれた婦人に簡単な挨拶をして、 ゆっくりと帰る準備をした。不意にステージを見ると、ビリーがステージの上に残っていて、最前列の席にいたと思われる男性と話をしていた。
――今はそういうことをしてもいい時間なのか!
と思った(2回目)。
スマホを持って近寄ると、ビリーから話しかけてくれた(?!)。
私の後ろにも人が並んでいたので、彼にお辞儀をして会場を後にした。
帰り道
帰り道、ライブでは歌われなかった「This Night」という彼の曲を口ずさみながら、夢心地でホテルまでの夜道を歩いた。――来てよかった、と心の底から思うライブだった。
昼間にチェックインを済ませたホテルに戻った。1階のバーが落ち着いた雰囲気だったので、入ってみることにした。
カウンターのバーテンダーに目配せをし、ドリンクメニューをもらう。かっちりとした白いワイシャツの襟が彼の首に食い込みそうになっていて、普段なら私を息苦しい気持ちにさせたかもしれない。しかし、その夜の私は注ぎたてのスパークリングワインの中を泳いでいたので、気にならなかった。
カクテルの名前を尋ねると、5文字くらいのカタカナで書けそうな単語を教えてくれた。しかし、「Thank you」と言って席についたら、もうその名前を忘れてしまった。
カクテルを飲み、ライブを反芻しながら、〈見える音〉と〈聞こえる音〉について考えてみた。ライブを見るときに自分が「演奏者を見て音を認識している」かもしれないという考えは、正しそうだった。
ステージの上手にいたサックス、そこから下手に向かってビリー、ベース、ドラム、ギター、キーボードと6人が並んでいた。私は彼ら一人ひとりの身体の動きと、自分の耳に届いてくる音とを照らし合わせて、「この音はこの楽器から鳴っている」と認識しているようだった。
今後もライブを見るときは、スクリーンを通さずとも演奏者の表情が見えるくらいの距離がいいと思った。
このあたりでカクテルの酔いがまわり、2杯目に頼んだ「ウォッカにレモンを合わせたもの」を長い夜のお供にした。
南の街
翌朝、ゆっくりと目を開き、持参したバナナを食べ、街を歩いた。
前日レッドバンクに到着したときも思ったのだが、道行く人たちの表情が明るい気がした。すれ違うときには「Hello」と言われ、店に入れば「It is a beautiful day! 」と言われる(その日は20℃を超える陽気だった)。
レッドバンクには芝生の青々とした庭のある一軒家が一定の間隔を開けて並んでいた。私が住んでいる地域のような集合住宅のような大きなアパートメントは見かけなかった。それぞれの庭のバスケットゴールやガーデニング、モーターバイクなどから、住人たちの生活が想像された。
1時間ほど街を歩いた。水辺に面した遊歩道が多く、ボートの停留所の柱が水面の上を揺れるのをいつまでも見ていたかった。
ギャラリー
思いがけず、レッドバンクにはたくさんのギャラリーがあるようだった。Google Map で見つけた店と、たまたま通りかかった店のふたつに入った。いずれも額装屋を行なっているギャラリーで、その店で作られたらしい額装にさまざまな作家の絵が収められていた。
海、木洩れ日、一軒家をモチーフにした絵がたくさんあり、土地柄を感じた。作品を見て、それが制作された土地を感じたのは初めてのことだった。それまで、作品が作られた土地でその作品を見る機会がなかったのだと思う。
「旅先でのギャラリー巡り」が今後のやりたいことメモに追加された。
電車
行きも帰りも、North Jersey Coast Line という電車に乗った。片道1時間半で16ドルだった。
この電車を「新幹線」のようなものだと思い、わくわくしながらホームで待っていたのだが、到着した電車はそれまでにも見ていたサブウェイ (地下鉄) の車両を増やしたような見た目で、風を切るようなフォルムもなければ、長旅をねぎらってくれるふかふかのシートもなかった。
けれども、客にこびるような豪華さもなく、車掌さんは丁寧で、過ごしやすい車内であった。
電車はニューヨークに到着し、バスに乗り換えて無事帰宅。
週末のよきリフレッシュとなった。