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視点A
私はアーム。主人(あるじ)の右腕的存在。ある日、主人が怪我をした。「このほうが体重が乗るんだ」と、自転車のサドルを数ミリ上げて、30分の道のりを走ろうとしたところだ。走り始めて5分ほどのところで、狭くて凹凸の多い、車道に面した歩道に入った。車道の白線の内側を走るには狭すぎて、後ろに車の列を作ってしまうのがいやだからと、いつも仕方なくその歩道を選んだ。
まずい、と私が力んだ時には、自転車は金属の排水溝にタイヤを取られて倒れようとしていた。サドルを数ミリ上げていたために、また、地面の凹部分にさしかかったために、主人の爪先は地面を確かめることなく左へ倒れていった。私は熱かった。とてもとても熱かった。何が起きたかわからなかった。主人の右手が私に触れて、私が裂けてしまったことを認識した。幸い、私の後部、肘部分では繋がっていたが、関節の内側の、主人が子どものころにアトピー性皮膚炎に悩まされたその部分がぱっくりと裂けてしまった。風が私に入り込んで、骨や血管や血液や、大してない筋肉までもが震えるのを感じた。
通りすがりの紳士のおかげで、主人は救急車に乗せられ、自転車で行く予定だった街の病院まで運ばれた。
私を笑顔で迎えた外科医は、まず私に麻酔をした。麻酔が私に広がっていくのを感じなければならなかった。鋭く冷たい線が肘まで貫通するようだった。その線が溶けてしまうように消えるのと同時に、1000ccの洗浄液で洗われた。もっとも私に「洗われた」という感覚はなかったが、主人の目がそれを見届けた。「足りなかった」と、外科医が洗浄液を500cc足して、主人は声を出して笑っていた。洗浄液を足す時に、水を溜めていた容器が揺れて主人の服が濡れた。結構濡れた。看護師が何度も頭を下げたが、その時も主人は笑っていた。つられて看護師も笑った。
私は内側の筋(きん)の膜と外側の皮膚を縫われたらしかった。私の感覚はないままだったので、主人の目と記憶による。外科医は内側を何針縫ったか覚えていなかったので、主人はがっかりしたそうだ。それで、外側を縫い終わった時に聞いても覚えておらず、1、2、・・・と一緒に数えたらしい。それで、25針とわかった。「どうせなら、26針だったら、この傷ができた年齢と同じだったのに」と主人はやっぱりがっかりしていた。
縫合が終わり、病室を出ようとして主人は自分が病院服を履いていることに気がついた。救急車の中で、腕以外の打撲傷を確認するために、しかし主人がタイトなパンツを履いていたので履き替えたのだった。それで、別室で履き替えるように言われたのだが、私を使えない主人はもう一本の腕で不自由そうにしていた。
主人の母親が運転する車で帰宅し、だんだんと怪我をした実感を持たされた。
強気な主人は予定通り出勤した。その日は日本語学校の定期試験で、主人は3時間半、立って試験監督をしていればよかった。用紙を配布したり回収したりすることも叶わず、本当に見ているだけとなった。大きな白い絆創膏に気がついた何人かの学生に「大丈夫ですか」と聞かれ、前日にあったことをやさしい言葉で説明すると「気をつけてください」と笑顔で言われ、「ここは『お大事に』が適切では。でも、今後起こらないことを祈ってくれているのであれば『気をつけて』も間違いではないか」などと素直に言葉を聞き入れられず、古くなったミキサーのようにごろごろと、塊を残したまま飲み込める状態にはできなかった。立って見ていただけなのに、私がじりじりとずきずきと熱を帯び、それが主人を心配させて数週間の休みをもらうことになった。
その間、私はさまざまなことができなかった。シャツの襟ぐりのボタンを留めることも、タートルネックの襟をきれいに曲げることもできなかった。スマホを支えることも、教科書を支えることも、ペットボトルの蓋を開けることも、電気のスイッチを押すことも、カップを持ち上げることも、茶碗を持つことも、右手を通してからリュックを背負うことも、気に入りのネックレスの留め具をつけることも、目薬を差すために目を広げることも、顔をばしゃばしゃ洗うことも、髪の毛をわしゃわしゃ洗うことも、それから自転車のハンドルを握ることもできなかった。
しかし、できるようになる日が来た。そして出勤した。抜糸を終え、大きな絆創膏もなくなり、肌と同じ色のテープを傷口に沿って貼っていた。学生たちに「お大事に」と言われて、その言葉を知らなかった訳ではなかったのだなと主人は安心した。
私だけではなく左手の甲も痛めていた主人は、小学生から世話になっている整骨院の先生に会いに行った。外科よりも頻繁に通って、主人は手の甲の話と私の話を交互にした。実は私に、触れられても未だ感覚がない部分があることも、主人の口から伝えてもらった。「末梢神経だから、ずっとあとで感覚が戻ってくることもある」と、期待させすぎないトーンで教えてくれた。そうなのか。
「あなたが私に触れていることに私が気がつかなかったら」と想像したら怖くてたまらなかった。あなたは私を責めるだろうか、心配するだろうか、諦めずに触れ続けるだろうか、静かに去っていくのだろうか。私は私が一人になったと思って生活するのだろうか。そこまで考えて、感覚がなくなる前と何も変わらないことに気がついた。あなたがそばにいたって、私は一人だ。あなたが遠くにいたって、私は一人だ。だから、私は私の「感覚がない部分」を通して、あなたの存在を想像することにする。