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2020年を終える

2020年の日記(年記 ?)を書いてみる。去年も同じようなことをしていた。

月ごとの振り返り

1月|引き続き日本語教師養成科に通う。連休でタイへ行く。英会話を始める。
2月|養成科に通う。仕事の面接に合格する。
3月|養成科卒業。仕事の研修に参加。
4月|仕事がなくなる。制作や勉強に充てる。
5月|オンライン授業が始まる。
6月|対面授業が始まる。
7月|深夜1時から授業準備を始めて5時に寝るみたいな生活が始まる。
8月|深夜1時から授業準備を始めて5時に寝るみたいな生活が一旦終わる。
9月|大きめの怪我をする。
10月|仕事を3週間休む。検定試験を受ける。
11月|韓国ドラマに没入する。友人に会う。
12月|デザインの仕事をいただく。

旅行

旅行ができないこの時世で、今年の1月にタイへ行けたことは大きな心の支えだった。人生初のアジア旅行、滞在時間32時間。

以前は、「次はヨーロッパのどの国に行こう」と考えていたけれど、ドイツ留学を通してさまざまな地域の出身者と交流し、アジアやアフリカ、南アメリカにも興味が湧いた。「人を知る」ということがいつでもわたしを突き動かす。そんな折、仕事でタイへ行くという恋人に便乗してみた。

タイでは、タクシー、バイクタクシー、トゥクトゥクといろいろな乗り物で移動し、食べものを堪能した。八百屋のマンゴスチンとロンガンのみずみずしさ、屋台のマンゴーや大味のぶっかけ麺で味わったお祭り気分が忘れられない。夕食に入ったレストランで、タイ人の店員さんと恋人が日本語で「牛(ぎゅう)」とか「おいしい」とか言っているのを見るのがおもしろかった。

日本語教師の仕事

始まった。週3で教えている。代講で週4勤務をした時は文字通り目が回って、大変だったし、やり遂げた自分を褒めたい。

7か月勤めた今でも、1週間の仕事が終わって翌週の授業準備をするたびに、言葉にしがたい緊張に襲われる。緊張を過食と過眠で誤魔化している気がする。しかし、いざ学生を前にすると笑顔になれるのも本当のこと。

砂時計のようなメンタルだと思う。週末に砂の落ち切ったそれを、学生は本人たちが知らないうちにくるりとひっくり返して、また私を動かしてくれる。私も誰かの砂時計をひっくり返せているんだろうか。

デザインのはなし

友人から話をもらい、CDジャケットを制作したりウェブサイトを作ろうとしたりしている。仕事では、教えることばかり、言葉ばかりに向き合っているので、音や感受を通して人とコミュニケーションを取れるのはとても貴重だと思う。それをしている時の自分のことも好きである。

また、スマートフォンケースや名刺も、引き続き制作している。友人たちは私に「ありがとう」をくれるが、私にものを作る機会をくれてありがとう、と私のほうが言いたい。

アートのはなし

来年、個展を開催する。声をかけていただいて本当にうれしい。作りたいものは何も決まっていなかったけれど、「何かを作りたい気がする」という感覚と、「何かを作っている自分でいたい」という気持ちの波に乗ってみることにした。

最近の関心は「五感(を使うこと)」なので、紙で、視覚のみならず、音・匂い・味・感触に働きかけるような表現を考えたい。

怪我をした

ある祝日、友人に会うべく、でこぼこの狭い歩道を自転車で走っていると、金属の排水溝にタイヤを滑らせて転んだ。起き上がったのと左肘を支えたのと、どちらが先だったかは覚えていないが、怪我に動転している間に通りすがりの男性が救急車を呼んでくれていた。「大丈夫ですからね」「救急車、もうすぐ来るみたいです」「救急車来るまで、僕、ここにいますんで」と、ていねいに声をかけてくださったのに、救急車が来ると「じゃ」とあっさり場を離れてしまい、まともなお礼ができなかった。救急への電話の時、ヨシノです、と名乗っているのを聞いた。困っている人がいれば助けるということを、雑念なしにできるようになりたい。

初めて救急車に乗った。祝日に、大の大人が3人も寄ってたかって(?)私のために尽力してくださりただただ感激した。乗車賃2,400円。

運ばれた病院では、陽気な外科医の先生に迎えられた。私の傷を見るなり「おお!」と、重要な定理を見つけた数学者さながらの様子で目を輝かせてい(るように見え)た。「麻酔して、じゃぶじゃぶ洗って、縫いますよ」と笑顔で言うので、「縫うんですか!」と驚く私に、「縫わないんですか」と言ってくる。「いや、縫ってくださいよ」と言うしかなく、(私はなにゆえ初対面の医者とコントをしているのだろう...)と思ったらおかしくなり、それからはずっとベッドの上で笑っていた。それを見た看護師も笑っていた。「どうしてこんな怪我しちゃったんだろう」などのネガティブなことを一切考えなくて済む、ありがたい時間だった。

怪我をした左肘の内側はまだ痛むけれど、ペットボトルのキャップを閉めたり、タートルネックの襟をきれいに折り曲げたりできるようになってきている。うれしい。曲げ伸ばしとひねるリハビリを続ける。

音楽のはなし

上記の理由で、今年の後半はドラムを叩くことができなかった。また、5月に予定されていたライブも、同時期の多くの方たちと同じ理由でキャンセルになったことで、1年で1度もライブをしなかった初めての年にもなった。音楽でしか満たせない部分を補うのが大変だった。というか、補えなくてメンタルが崩れることも少なくなかった。

怪我をする前に、友人と2度スタジオに入れたのはよかった。そこではドラムを叩くよりも歌っている時間が長かったように思う。「自分が歌いたい詞」と「人に聞かせたい詞」が全然違うと知れたのが印象的だった(自分が歌いたい詞ばかりを歌った)。だから、まだ人前では歌えないなと思う。

今、「ドラムを今までどおり叩けるようになるだろうか」と不安になってもそのためにできることはないので、別のことをするようにしている。

言語のはなし

別のこと、というののうちのひとつが言語の勉強である。

ある日に友人と話していた時、まったく無意識に「5年後に5か国語、10年後に10か国語わかるようになりたい」と言い、その言葉で自分がすごくハッピーになるのを感じた。未来のことや目標について考えるのは、むかし(小学校で“将来の夢”について聞かれたり書かされたりした頃)から得意ではなかったが、追い込みすぎにがんばってみたい。

ちなみに、「言語」で最も関心があるのは「文字」なので、会話よりも、「少しでも多くの文字を知る」というのが第1目標である。その上で、仲良くなった文字たちを使って誰かとコミュニケーションが取れたら、さらなるハッピーが待っているかもしれない。

英会話を始めた

1月に英会話を始めた。理由が「恋人がアメリカ人だから」というのはありきたりすぎてとてもつまらないのだが、実際そうなので仕方がない。しかし、マンツーマンのGabaを選んだのは大正解だった。レッスンの場所と講師を授業ごとに選ぶことができ、授業の内容もカスタム可。指定の教科書を進めてもいいし、作文の添削など、その時自分がやりたいものを持ち込むこともできる。

通いはじめてそろそろ1年になるが、いまだによく初対面の講師を選ぶ。人によってどんなことを最初に話すか・聞くかが違うので面白い。

一番うれしかった質問は、"What brought you to Germany?(ドイツへ行ったきっかけは?)"である。"Why"でなく"What"で聞かれたことをとても心地よく感じた。ふしぎだ。

韓国ドラマにハマった

日本の女優が出演しているという理由で、Netflixに公開されていた映画『ビューティー・インサイド(原題: 뷰티 인사이드)』を見て、韓国語の多くの言葉が日本語の熟語の響きにそっくりだと知った。例えば、「約束」「家族」「視線」「正直」など。ほんとうに、面白いくらいそう言っている。

以来、韓国語を知りたいという欲が高まって韓国ドラマを見始めた。
『ロマンスは別冊付録(原題: 로맨스는 별책부록)』では、7年間の主婦業ののち仕事復帰する主人公に大いに感情移入し、『愛の不時着(原題: 사랑의 불시착)』では、地位や境遇の違うさまざまな人の生活にいつの間にか目が離せなくなっていた。

ドラマが1話で70〜90分もあると知った時は驚いたが、自分の感情があちこちにゆさぶられる感覚を他人事のように面白がっていた。映画と違って、なんとなくよい方向に進むだろうと思いながら見られるのがいいのかもしれない(そんなこと言ってはだめだろうけれど)。

そして、いずれの映画やドラマでも続けているのが、「日本語に似た響きの韓国語をメモする」こと。聞き取った熟語の横にハングル・ハングル読み・カタカナを併記することで、子音や母音の関連を知ることができる。現時点でメモしたのは250語ほど。面白いくらい飽きない。もっと知りたいと思う。

書くこと

協同出版の『教職課程』という雑誌でエッセイを書きはじめて2年を迎えた。2021年の分も書いている。来年はなにか、装丁を前提に書いてみたいという気持ちも湧いてきている(ZINEとか)。来年の自分と相談することにする。

話すこと

stand.fmというアプリでパーソナルラジオを始めた。声の日記、という感じで、けっこう性に合っているような気がしている。細く長く続けていきたい。

「書くこと」と「話すこと」に共通する今年(後半)の悩みは、出力の速度や質が以前と変わってきているということ。単純に悪くなったという訳ではないけれど、想像以上に時間がかかったり、言いたいはずの言葉が出ずに別の言葉で言い換えなければならなかったりした。インプットとアウトプットを5対5にキープするだけでなく、母数も保っていたい。

メンタルのこと

今夏、「深夜1時から授業準備を始めて5時に寝るみたいな生活」をしていた。つよい緊張状態と倦怠感が続いて身体が動かくなり、とはいえ物理的な締め切りに迫られて何とか行動し始める時には深夜になっていた。今も完全になくなったわけではないが、原因がわかっている点においては夏よりもいい状態だと言える。原因を言語化しようとするたびに涙が出たが、せっかくしたので残しておく。

〈メンタル不調の原因〉
①人に会わなくなった
②「勤務時間」をコントロールできなくなった

〈①の解決策〉
・電話やオンラインお茶会などを口実に、人と話す「約束」をする
 ⇒生身の人と話すことが一番必要なのだけれど、「約束(=予定)」があることでがんばれるという副作用もあった(すごい)。
・職場の人と“おしゃべり”をする
 ⇒定期的に、約束なしで会う人と“おしゃべり”を重ねることで、自分が今どんな状態かを知る指標みたいなものを作っておける。なんでもないことを話せる人がいること自体も支えになっていた。

〈②の解決策〉
・「授業」と「授業準備」を分ける [行動の話]
 ⇒「授業」は勤務時間だが「授業準備」は勤務時間ではない。だから、「授業準備」中は無理をしない(質を下げるという意味ではなく、できないと感じるときには無理にやらずに、別のことをする。ただし、代わりのスケジュールをカレンダーに入れて、やると決めた時にやりぬく)。
・〈仕事〉と〈人格〉を分ける [考え方の話]
 ⇒「日本語教師として未熟」なことが「私が悪い人間である」ことではない。だから、仕事をしたいようにできなくても人格を責めなくていいし、仕事は1人では完結しないから誰かに頼っていいし、仕事の代わりはいるけど私の代わりはいないから自分のことをもっと大切にしいていいし、それらを肯定していい、と思うことにした。

とはいえ

いくら言語化したところで、苦しさをやわらげる方法はあっても避ける方法は今のところないので、何をして生きていくかを考える必要がありそう。仕事を続けることも辞めることも、決断することは一瞬で簡単にできてしまうから、ていねいに考えたい。「考える」フェーズが最も苦手という自覚があるので、その行為に苦しくならないように(これを後日見返して苦しくなる自分の様子がもう目に浮かぶ)。

今年の漢字

「波」に決めた。「動」や「揺」と迷った(動揺じゃん)。いいこともよくないことも例年より大きな振り幅で訪れて、それに揺さぶられる受動的な1年だった。そうなったことを非難する気はないが、来年は自分が選んだ波に乗れたらいいよね、という気持ちを込めて。

(サーフィンをする人が波を「選ぶ」という表現をするのが羨ましくて、使ってみたかった、というのもある。わはは)

メモ

2021年の私へ。私のことがわかってきたから、「私ってこれ好きそう」とか「やりたそう」とかの直感で、ちょっと大きな決断をしてもいいよ。ただ、よだれが垂れるような瞬間を大事にする代わりに、つばを飲んでひたすら頑張る時間のことも忘れないで。

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