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記録(3/20 - 3/30)

心を開く 

入り浸っている楽器屋に、Clay (クレイ) という寡黙な男性がいる。ゆるめのシャツかトレーナーに履き慣れたジーパンという出立ちで、くるりとカールした白髪混じりの髪がいつも黒い太縁の眼鏡にかかっている。

その楽器屋には、Clayとは別にオーナーがいるらしかったが、Clayは店長のような立ち位置でお店をまわしているように見えた。客と話し、客の欲しているものを提示し、電話が鳴れば出て、客がいないときはギターを弾いていた。クランチのかかった赤いストラトを優雅に弾いていたかと思えば、軽快な曲をアコギで弾いていることもあった。暑い気候の地を連想させるフレーズだった。

私は、彼とのファーストコミュニケーションをタイミングの不一致によってないがしろにしてしまった。そのため、お互いに名乗ったりちょっとした小話をする機会を持たないまま、いつの間にか1か月以上経過していた。

ある日、Clayの母親が亡くなったことを他の店員から聞いた。それからしばらくは彼の姿を見なかった。10日ほど経ったころだろうか、店頭にこれまでのようにClayがいるのを見つけて嬉しくなり、初めて名前を呼んで挨拶した。

(C=Clay)
私: 「Hello, Clay! 」  
C: 「Hi, えぇと、きみの名前は、Kana… what?」  
私: 「I’m Kanae, k-a-n-a-e.」  
C: 「Kanae, right?」  
私: 「That’s it!」  
C: 「これってハワイに関係する名前かなんかかい? 音が似ている気がするんだが」 
私: 「初めて言われた...! 私の親たちはハワイとは関係がないはず。日本語では、Dreams come true の意味になると思う」 
C: 「Wow, that is a beautiful name. スバラシイ!」 
私: 「Wow! You know Japanese!」  
C: (フフフ) 
私: (ひひひ) 

――というやりとりがあった。彼の笑顔が初めて私に向けられたのがうれしくて、もう少し会話を続けたい気持ちになった。

(続きの会話)
私: 「この間、私の友だちがこの店でクラシックギターを買ったんだけど、そのことは聞いてる?」
C: 「うんうん、聞いたよ。あのギター、長いことこの店にあったんだ。連れ出してくれてありがとう」  
私: 「こちらこそありがとう。私の友だち、毎日弾いてて、とても楽しそうにしている。私もうれしい」
C: 「それはよかった!」  

彼は寡黙というよりも、自分から口を開くことが少ないだけで、話しかければ結構いろいろ出てくるようだった。そういえば、客たちとジョークを交えつつ話す彼の表情はいつもやわらかかった。

自分のほうから心を開いていきたいと、また、思った。

顔を開く

緊張しているとき、顔の部位が全体的に中央に寄る。眉間が狭くなり、目が細くなり、口がすぼむ。自分の顔がそうなっていることに気がついたら、一度梅干しの顔をしてから思いっきり “顔を開く” ようにしている。口や目を開くということではなく、顔の部位がなるべく中央から遠ざかるように、眉毛や口角や鼻のまわりを動かす。そうすると、視界が広くなったような気持ちがする。

ある日のこと。同居人の友人を紹介してもらえることになった。ニューヨークに20年以上住んでいるという日本人の女性の方で(ここでの呼び名をキヨさんとする)、キヨさんは公立大学で日本語教師をしているとのことだった。

同居人と私が待つカフェに現れたキヨさんは、彩度の高い緑色や黄色をまとい、やわらかな笑顔をこちらに向けた――「顔が開いている人だな」と私は思った。私自身も日本語教師だったことをふまえつつ、学生の日本語習得状況や目的、授業の内容など、思いつくままに尋ねると、キヨさんはすべてに丁寧に答えてくれた。同居人も興味深げに話を聞いている。

ここ数年、いくつかの理由から「人からの紹介で人に会うこと」と「3人以上で会って話すこと」が得意ではなくなっていたけれど、キヨさんとの出会いではそのことを思い出さずに済んだ。
この時間を持てたことがうれしかった。

ニューヨークの大学へ

キヨさん曰く、彼女の日本語クラスでは「座学だけでなく外部講師を呼んで特別授業をしてもらうこともある」のだそうで、お茶や食、翻訳などのテーマがあるとのことだった。「翻訳」というワードに勢いよく食らいついた同居人と私に女神のような微笑みを向けながら、キヨさんは詳細を教えてくれた。漫画やラノベ、映画字幕などの翻訳(日→英)をしている講師を招いた授業が数日後に控えているとのことだった。

キヨさんの上司の許可を得た私は、なんと、その授業を見学できることになった。急な用事に臨機応変にスケジュールを調整できるのはフリーランスの一番の特権のように感じる(同居人は泣く泣く会社へ)。

 - 授業当日

朝9時にニューヨークに到着。冷たい空気に注ぐ太陽の光はすでに温かさを含み、無数に設置された防護柵は歩道に長い影を落としてきれいだった。

バスターミナルから35分ほど歩いてキヨさんの働く大学を訪れる。ふたつの大きなビルが、車道の上にかかった2本の連絡通路で結ばれていた。自分がじっとりと汗をかいていることに気づいて、毎日は歩けないな、と思った。受付でスマホの予約完了画面を提示して入館手続きを済ませると、ちょうどキヨさんが迎えに来てくれたところだった。

キヨさんの上司の方や他の講師の方に挨拶をし、教室に案内してもらった。30人も入れば満員という部屋の右奥の席に座る。金髪に水色のシャツを着た講師と思われる方も同じころに入ってきた。半分ほど席が埋まったところで授業開始時間になった。

 - 翻訳家の方の話

時間通りに始まった。配布物はなく、ホワイトボードにパワーポイントの画面が表示される。水色のシャツの彼女が、自然な笑顔と早すぎない口調で話し出した。

講師のプロフィールや授業の詳細は控えるが、話の一部と私の心象を残しておきたい。

[彼女の経歴]
・幼少期から遊んでいた「プレステ2」が日本のものと知り、
 日本の漫画やJ-POPにも手を出すようになる

・高校のころ、ひとりで日本語の勉強をはじめる

・日本の国立大学に留学後、
 日本企業に務めながら翻訳家としてダブルワーク

・20代半ばで「私のやりたいことはこれ!」と
 翻訳家になるために日本の出版社等にアプローチ

・現在はニューヨークで立ち上げた会社で
 数十人の社員と漫画・ラノベ・映画・ドラマを英訳翻訳

・・・これだけでは、TED登壇者の経歴のように見えてしまうかもしれない。しかし、彼女の話しぶりは彼らのそれとは少しちがうように思われた。

彼女は自分のしたいことを全うしているように思われた。また、その行動はすべてポジティブな言葉によって語られた。それは誰かによって「自分に自信がある」と表現されるかもしれないけれども、私が劣等感*や胸焼け感**を持つことはなかった。彼女の笑顔や素直なキャラクターを好きになってしまったためかもしれない。例えば、彼女が「日本企業での仕事は全くクリエイティブではなかったの。でも、だからこそ翻訳家になるために力を尽くせた」と笑顔で言い切る潔さを。

[語注]
*劣等感=自分のできていない部分を明るみに出されるような感覚。
(相手と自分を比較して、できていない部分を徹底的に言語化しようとする内省を始めてしまうのでそういう話は避ける)

**胸焼け感=それ以上の話を摂取できなくなるような感覚。
(相手に寄り添えず「それはあなただけの話でしょう」と言ってしまいたくなるときの自分が不憫なのでそういう話は避ける)

(これを書くこと自体が誰かにその感情を与える可能性があると思うとこわい、しかし、それを気にすると何も書けない、読み手の判断にゆだねるしかない、読み手の私がそうしているように)

そういえば、彼女は一度もメッセージらしいメッセージをこちらに伝えてこなかった。例えば、「Do what you want to do. (やりたいことをしなさい)」のような、“いかにもなフレーズ” を一度も言葉にしなかった。
代わりに、彼女の話し方、目線、表情、関わった作品の一つひとつのこだわりを語るようすが彼女の信念を示していると思われた。私が受け取ったのは、「わくわくし続けること」「素直でいること」「行動すること」といったことである。

彼女のポジティブなエネルギーを浴びて、「自分の気持ちに素直でいること」と「伝えるのではなく示すこと」を鞄に入れて持ち帰った。

 - 授業後、ランチへ

興奮の冷めない私は、「今日はお弁当を持ってこなかったの」と言うキヨさんをつかまえてランチに誘った。すると、キヨさんもそのつもりでいてくれたのか、近くのベトナム料理屋さんへ連れて行ってくれた。

キヨさんは、日本の短大を出たあとニューヨークで結婚・出産を経験し、折を見てニューヨークの大学に入り直して大学院まで出たのだと話してくれた。「短大卒」という肩書に長年違和感があり、大学を出たかったらしい。

その情報だけではどんな生活をしたのかあまり想像がつかなかったが、「縁あって大学で11年講師をしているけれど、そんなことになるなんて思っていなかったわ」と言う彼女は、彼女自身が想像しなかった生活を楽しんでいるようで、私はこの一日でふたりの女性からエネルギーをもらった。

そのエネルギーで、自分の次の生活(主に居住地)を考えたいと思う。

ベーグル屋へ

キヨさんと分かれた後、ベーグル屋へ向かうことになった。

私が「ベーグルを食べたことがない」と言うと、キヨさんは「アメリカのベーグルは本当に美味しいから、帰国の前に食べてみなさいな」と言い、すぐに近くのベーグル屋をグーグル検索して「ここよ」と見せてくれた。そのスピード感に圧倒されつつ、誰かのすきなものに強引に導かれる気持ちよさを思い出し、行ってみることにした。

そのベーグル屋に入るなり、黒い帽子をかぶったスペイン系の男性のお兄さん(店員)がなにやら甘めな言葉で迎えてくれた。そのときのやりとり。

(帽=帽子のお兄さん)
帽: 「やあ、お嬢さん」(多分 “sweetheart” と言われた)
私: 「Hi. This is my first ever time to get Bagel in NY. Could you recommend me one of them?(こんにちは。NYで初めてベーグルを食べるのですが、なにかおすすめしてもらえませんか)」
帽: 「もちろんさ。どんな味が好みだい」
私: 「えぇと… たぶん、何か甘めのものを」
帽: 「じゃあ、これはどうかな(Raisin butter with walnut and cheeseと書かれたものを指しながら)」
私: 「(何か他のおすすめも聞きたかったけれど全く英語が出てこず)それにしてみます」
帽: 「いいね! ベーグルはどれにする?(6種類あるベーグルの山を指しながら)」
私: 「まずはプレーンを試してみようかな…」
帽: 「いいね! トースト、しちゃう?」
私: 「あぁ…! トースト、ぜひ!(笑顔)」
帽: 「(もともと笑顔だったが私につられてもっと笑顔になったようす)」
私: (カリカリのベーグルの間にレーズンバターをぬりたくってくれるようすを目で追いつつ、会計へ移動)

(会=会計のお姉さん)
会: 「注文はそれだけ?(お兄さんが作っているベーグルを指しながら)」
私: 「はい! や、いえ、このスコーンもください」
会: 「はいよ。笑」「9.25ドルね」
私: 「すみません。笑」「キャッシュで払います(10.25ドル渡す)」
会: 「いいのよ。はい(ベーグルとスコーンが入った袋とお釣りを受け取る)」
私: 「ありがとう」

店を出る直前に、帽子のお兄さんに「Thank you, Sir. 」と伝えると、再び何やら甘めの言葉で見届けてくれた。

人通りの少ない道を歩きながら食べた人生初のベーグルは、ほんとうに美味しかった。外側は固くなくサクッといい音を立て、内側の生地は密度は高いけれどもメロンパンくらいの軽やかさで、簡単に噛みちぎることができた。
そして、肝心のレーズンバター。ややバターの油分が強い気がしないでもないが、舌に触れるたびに味わいが変わり、ずっと飽きなかった。すごい。ありがとう、キヨさん、ありがとう、帽子のお兄さん。

キャッシュ

ところで、先のベーグル屋でキャッシュで会計をした心境を残しておきたい。
1月の出国時点では[1ドル=118円]だったドルが、3月に入ってから急激に上昇した。3月下旬では122〜123円ほどになり、デビットカード[円]で支払うと5%くらい上乗せされてしまう。異国で自分にだけ増税が課されたような感覚で、他人事ではなかった。そのため、いくらか両替してきていたドルをできる限り使おうと試みたのだった。

ホームレス

(※この項目を読み飛ばしても、その後の内容に影響しません)

現金の話をして、ホームレスのことを思い出した。
ニューヨークには、いつも視界のどこかにホームレスらしき人がいた。
そして、一概に「ホームレス」と言っても、さまざまな人がいた。
私が見た彼らを、積極性の低いところから書く。

(1) 路上や駅などに座り、何も喋らない人(たいてい、「空腹」「お金が無い」などと書かれたダンボールとチップのためのケースがそばに置かれている。犬と一緒の場合もあった)

(2) コンビニなどカジュアルな店の前に立つ人(客の出入りに合わせてドアマンのように振る舞い、片手に持ったカップにチップを促していた)

(3) 電車に乗り込み、何か喋りかけてくる人(「お金がありません」や「少しでもいただけませんか」など、短い言葉を言いながら車両の端まで歩く)

(4) 駅などを歩き、何か喋りながら近づいてくる人(「Miss, 」と呼んだり、手のひらを見せながら「チップをくれ」と言ってきたり、自分の状況を話してきたりする)

アメリカ人の友人から「Buck For Luck」という言葉を聞いた。「Buck」は「Dollar (ドル)」と同じ意味で、「Luckを祈ってBuckを渡す」のだそうだ。これがことわざや慣用句のようなものなのか、それとも単にその友人の信条なのかはわからなかった。
しかし、友人はホームレスを invisible(見えない存在)にせず、(3)や(4)のようなホームレスに1〜5ドル札を渡したり、「今は君に渡せるものがないんだ」と断ったりした。

(3)の人たちは礼を言い、(4)の人たちは言わなかった。

ある日、ニューヨークからバスで帰るときのこと。
買い溜めておいたチケットを使い切ってしまい、人の多い夕方に券売機を使わなければならなかった。人が多い時間には、ホームレスも多い。落ちたお釣りなどを求めて(4)の人たちが券売機のそばにいた。

私が券売機を使っている間、しつこく話しかけてくるホームレスがいて、どこかへ行ってほしいという気持ちで1ドル札を差し出した。すると、私の周囲をもたもたと行き来していたようすからは信じられない速さで紙幣がもぎ取られ、そのとき、その人の指が私の左手の指をかすめた。

枯れた樹皮で引っかかれたような感触がして、長い間その気持ち悪さから逃れられなかった。相手への祈りをないがしろにした罰かもしれないと思った。もう祈り以外の感情(同情や不愉快さなど)でチップを渡さないと誓った。

ダミアン・ハースト展

3月から国立新美術館で展覧会が行なわれているダミアン・ハーストの作品を、偶然にもニューヨーク内のギャラリーで見ることができた。

いろいろな彩度・明度の色があるのに全体で調和していてよかった
蝶をモチーフにした万華鏡のような作品。彼のこの作風を知らなかったので新鮮だった
ギャラリーからの帰り道、桜らしき樹木を見つけ、日本を思った

帰国する

まだ言葉に結晶していないことがたくさんある。
ニューヨーク側のハドソン河沿いを歩いたこと、モーニングに食べたオムレツが美味しくて持ち帰ったこと、アパートメントの管理人、アメリカでの仕事や制作、友人との共同生活での心境の変化・・・すべてを残すことはできないかもしれない。

間もなく帰国する。

日本に着いたら、「記録(3/31)」のようなタイトルでnoteを書いて、『アメリカ生活録』を終えようと思う。


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