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この1年、ある場所に行きたいと願ってきた。
それはこれまで私が描いていた未来予想図とは大きく異なる。一本道だと思っていた自分のレールに突如分岐が現れた感覚。
自分の転職なり、子どもの就学なり、様々な理由をつけてその新たなレールに乗るべくチャレンジしてきて、どれも敢えなく失敗した。
今の仕事も実家も、ここで築いた諸々を全部リセットする覚悟を決めたつもりだったので、それは結構なダメージだ。(昨年はその覚悟ができず、挑戦すらできなかった。)
「行けない」とわかった時、心に浮かんだことは、もうこのまま今の仕事は続けられない、このままここには住めない、ってこと。もう限界だよ。素直にそう思った。
でも「行けない」ってことは、このままここにいなさいってことかもしれない、そんな思いも確かにある。今の私は、世間一般の目で考えると、安定した収入があって、社会的にある程度信頼される仕事もしていて、実家に住んで共働きのサポートもしてもらえて…もうこれ以上ないくらい恵まれている。
それを全部手放すの?
それはやっぱり怖い。
時間が経てば経つほど、どっちが正解かわからなくなってくる。本当に行きたいの?今のままでもいいんじゃない?
うかうかしてると、これまでのレールに引き戻される。それはそれは、さも順調そうに、こっちが正解だ、と言わんばかりに、私の方に迫ってくる。
だから、移動するには大義名分が必要だと思っていたのだと思う。
受かったら(誰かからのお許しが出たら)行く、というのは、結局決断を他人任せにしていた。
何もなくてもただ行く。
それができるか試されているのかもしれない。
もはや何のために行くのかすらわからないけど、このまま「行きたい」と願った自分をなかったことにはしたくない。
それはこんなにも不安でこわくて、向かい風だ。
私は今、そんな逆風の真っ只中に一人で立っている。