「なかない赤おに」になる
名作『泣いた赤おに』
浜田廣介作の『ないた赤おに』という絵本がある。
有名な絵本なので知っている方も多いと思う。
初めて読んでもらったのは、5〜7歳くらいだったように記憶している。
ベットの上で母に読みきかせをしてもらった時、結末が哀しくて、布団の中で丸まって泣いた。本を読んで涙が出る、というのは初めてのことだったので、その体験と共に『ないた赤おに』の絵本は私の中で深く印象づいている。
扉の前で泣く赤おにに切なくなったり、一人旅に出た青おにの孤独を思うとやりきれなくなったり、もっと方法があったのでは…なんで!どうして!と怒りにも似た気持ちを感じたり、そもそも人間と仲良くしたいなんて望むからだ…と赤おにを責めたくなったり、読む時々によって、いろんな思いを抱く。
いつ読んでも最後の青おにの手紙がなんとも言えず優しくて哀しくて…とにかくこの絵本は、子どもの頃から何度も読み返している、私にとって大切な絵本の一つである。(余談だけれど、今手元にあるのは金の星社から出版されている、いもとようこさんの絵のもの。いもとさんのサインつき!)
Pucchen-houseは赤おにの家
さて、Pucchen-houseで自宅解放を始めようと決意したとき、思い浮かんだのが、赤おにが人間と仲良くなりたくて作った立てふだの文言である。
インスタのプロフィールに載っけようとして、著作権的にどうかな?とやめて、そのまま忘れていた。
Pucchen-houseをどういう場所にするかは、散々思い悩んできたけれど、なんのことはない。
ここに答えがあるな、と気づいた。ただ赤おにが「人間たちのなかまになって、なかよくくらしていきたいな。」と願ったのと、同じ気持ちのような気がしている。
誰かのために…とか、ここでどうしてもやりたいことがある!とか、そんな大層なことではなく、ただただ、この家で楽しくおしゃべりでもしながら、ゆったり過ごしてもらえたら嬉しい。だから私は自宅を解放したい。
ただ、人間たちが最初おっかなびっくりなかなか寄り付かなかったのもわかる。おにの言うことなんて信じられぬ、喰われたら困る、と疑いや恐れの眼差しを向けたくなる。自分の身を守るための警戒心は大切だ。
それは相手がおにだから、というだけではない。同じ人間同士でも、いきなり知らない人から家に遊びに来て、と言われたら、このご時世だ、当然警戒するだろう。目的は何?何か企んでいるのでは…と疑いの目を向けられたり、そもそも興味すらもたれなかったりするのも、当然だなと思う。(私だって知らない人の家に遊びに行きたいとは思わないw)
そこで、青おには人間たちと赤おにの仲を取り持つために、自分が悪者になり、赤おにをヒーローにした。
赤おにのことを思う青おには作品としては美しいけれど、現代を生きる私はPucchen-houseに遊びに来てほしいからと、こんな方法を取ることはできない。(絵本の中のおにと自分を重ねすぎな気もするが、そこは一旦目を瞑っていただきたい。)
出会いに嘘があると、どこかで綻びが生じる。だから青おには悪いおにだと人間たちには誤解されたままだし、赤おにとも別れることになってしまった。そして戸口の前で泣く赤おに。哀しすぎる。
では、私はどうするか。
「ココロノ ヤサシイ オニノウチ」だとわかってもらえるように、会ってみたい、家に遊びに行ってみたい、と思っていただけるように、ただ私はこんな人間です、と訴え続けるしかない。必要以上に自分をよく見せたり、できないことをやろうとするのではなく、当然嘘やごまかしをせず。
だから、youtubeで思うままに喋ってみたり、スタエフで本の話をしてみたり、こうしてnoteを書いている。インスタには顔写真を載せ、zoomで集まって話をする。(発信の仕方にもう少し工夫の余地があることは一旦置いといて)できる範囲で、自分を世界に開き続ける。
誰に、どこまで届くのかはわからないけど、『ないた赤おに』のような終わりを迎えないために。
赤おにも青おにも人間も、誰も泣くことなく、仲良く過ごせる家にしたい、そのためにできることはタンタンとやっていこう、と思うのでした。
ありがとうございます♡ pucchen-houseの運営資金として大切に使わせていただきます。 ぜひ、応援お願いいたします🙏