Punchen-houseのわ
秋ごろからゆるりと準備してきた自宅解放Pucchen-house。
(それなに?という方はこちらのnoteを↓)
自宅を解放したい、と言いながら地元にたくさんの人脈があるわけでもない私。
正直「誰が来てくれるのか…」という不安がずっとあった。
しかも、SNSでこんなことしたい、あんなことしたい、とつらつら発信することはできるのに、いざ地元の施設にチラシ1枚置いてもらうだけで、思いついてから実行までに数ヶ月かかるという有様。
自宅に来て欲しいなら、地域に根ざして活動をしなければ…とずっと思っていた。でも、できない…
そのジレンマを抱えた状態で、QUANTA さん主催の #QUANTAリトリート奈良 (2024/01/29〜02/01)に参加してきた。
ここで自身の身体や心に起きた変化はなんとも語り尽くせぬ気がしているけれど、Pucchen-houseに関する大きな気づきとして、「ここ」に縛られすぎていた!ということがある。
この家で、この地元で、ということにこだわりすぎて、今まで培ってきたことやこれまで繋がってくださっていた皆さまとのご縁とか、今あるものを切り離して考えていたなぁということ。(リトリートのプレ・プログラムで言われたことも、ぐるりとつながっている気がする。)
これ、教員だったときも同じことをやっていた。教員としての自分、とプライベートの自分を切り離しすぎてうまく統合できないなぁという感覚。
あぁまた同じことをしようとしていたのか…と昨日、ハッとした。
ここ数年、SNSを通して出会った方々とのご縁が予定の大半を占めていることはずっと自覚していたし、それだけでなく、朝のルーティーンとか散歩とかいう生活の隅々にまで、snsで出会ったいろんな方々の影響を受けていることを最近改めて自覚。
それらは、どういう経緯で出会ったにしろ、もう私の中の一部になっていて切り離せるものではない。
にもかかわらず、Pucchen-houseの活動となると、途端にそれはそれ!これはこれ!私は地元で一人やっていくんだ。と躍起になっていました。
こんなお願いをしていたにも関わらずね。
これまで繋がって、関わってくださった皆さまとのやりとりの全てが、今の私を形作っているんだなぁと思うと、涙が込み上げてくる。お腹の底の方からじんわり暖かい気持ちになる。
そこには、オンライン・オフラインとの別はなく、ただ人と人との結びつきがあるだけなのだ。単純なことなのに、今繋がってくださっているみんなは遠くにいるから…と拗ねていた。
という訳で、これからはオンライン・オフラインそんな些細なことには囚われず、活動していこうと思う。
それってつまり、これまで通りやっていくってことに近い気がする。
読書会「本のわ」も、「石のわ」も、自宅での開催も目指しつつ、これまで通りオンラインで続けていく。最近その覚悟がぐっと定まってきた気がする。
#Pucchenと清掃活動(仮) も、リアルで一緒にゴミ拾いにはできなくても、それぞれの場所でやればいいよね、と以前ちゃんとアイディアをもらっていたのだ。
zoomでお子さんのことをちょっと相談したい…そう声をかけてくださる方もいた。そうなんだよ、お話ができれば私は、自宅でもオンラインツールを使っても、どちらでもいいのだ。(これについては、最近思いついたことがあるので近々進めたい!)
いろんなヒントを今もこれまでも、目の前にいる人たちがちゃんと教えてくれていて、答えは全部目の前にあるのだ。
いつもそれに気づけなくて、外に外に何かを探しにいってしまうけど、もう全部揃っているんだよね。
自宅で何かしたいからって、オンラインでこれまでしてきたことをなかったことにしなくていいし、これまで私がやってきた全てのことの延長線上に自宅解放がある。
こうして書くとなんか当たり前のことしか言ってないような気もするけど、私にとっては大きなbreakthroughだった。
QUANTAの皆さま、改めてたくさんの気づきをありがとうございました。
私の中で、自宅を解放したい、ということと、自分を解放したい、ということは多分同じことなのだ。
だから、ひたすらそれに向かっていくしかない。
こうしてnoteを読んでくださって、いつも繋がってくださっている全ての方に愛を込めて。
Thank you for everything.
ありがとうございます♡ pucchen-houseの運営資金として大切に使わせていただきます。 ぜひ、応援お願いいたします🙏