旅の言い訳
憧れの場所
去年の今頃は、軽井沢への移住を目標に悪戦苦闘していた。
それは、より良い教育を求めて…ということが理由。
2年近く憧れ続け、しかし結局手が届かず。
結局、教員という仕事も手放した。
あの時の挫折はあれでよかったと、今は負け惜しみでなく思っているし、
自分の居場所は軽井沢ではなく、ここなんだろう、とも思い直していた。
退職して引っ越して、私は今満たされてる。
だから、もうこのままここにいるんだ、と。
beを求めて
でも最近、ふと軽井沢を思い出した。
(あ、ちなみに最近、家事代行を頼んでいたことがあるという方にお会いして、「あなたもそういうタイプ!」みたいなことを言われちゃったから、いつか本当に誰かにお願いしたいかも…なんて野望もここに書いておく。)
上のnoteを書きながらイメージしてたのは、軽井沢だった。
そしたら猛烈に行きたくなった。
そしてこの動画。
そうか!
軽井沢は私がただ「be」で在れる場所なのかもしれない!と閃いた💡
最近色々旅行に行っているけれど、それにはいつも目的がある。
33歳の間に清水寺に行く!とか、傷心の自分を癒す…とか、歯医者の受診、自分に合う神社にお参りしたい、チャクラグラス作成する、友達に会う、憧れのギャラリーで絵を買う…
全て目的、つまり「do」がある。
でも軽井沢にはあんまり「do」がない。
ただあの空間に自分を置きたい、という感じ。
これは他の場所には無い感覚かもしれない、と思ったの。
年末の長野旅行でも観光らしい観光はほとんどせず。
「山村テラス」に泊まるというのが、多分この旅の「do」だった。
(ここは軽井沢ではなく佐久穂町だけど)
そこでは、薪ストーブのお世話をせっせとして、
ハンモックゆらゆらして、
氷の張った川で遊んだり、
雪遊びしたり
ただただまったりと時が流れた…
住むとなったら大変だろうなぁとは思いつつ。
ただ、そこにいるという「be」の心地良さを存分に味わった。
あの時の自分の、心の底から満ち足りた感じ。
「do」を詰め込んだ、刺激的で楽しい旅とはなんか違う気がするんだよね。
願いを放つ
行けなかった場所だから、ただ執着してる可能性も否定できない。
でも、「軽井沢」への憧れがある、ということををもう否定しなくて良いのかも。
軽井沢に行くためには、ここでの生活全て捨てなくては!と思っていたけど、
そんな極端なことはしなくてもいいのかも。
ひとまず、許される範囲で、何度か足を運んでみようと思った。
旅の目的が無いから、「行くぞ!」と決めて実行するのには勇気がいるけど。
通ってみたら気が済むかもしれないし。
やっぱり住みたくなるかもしれないし。
今は、長野に自分の第二の居場所みたいな場所が作れたら嬉しいなぁ〜。
トレーラーハウスとか、山村テラスみたいな山小屋とか。
ふふ、言うだけはタダ!だからね。
ひとまず、夏の涼しい(はず)の長野を満喫してくる。
行くと決めたら、色々繋がりまくりで、タイミング合いまくりなミラクル。
ブキパラに何が起こるかな!ワクワク。