そのお土産は誰のため?
皆さんは、旅行したときにお土産を買いますか?
そして、
それは何のため?誰のため???
中には、
「自分の何かを守るため」という心理で
お土産を買っている人もいるのではないかと思う。
私は、以前はどこかに行ったら職場や友人にお土産をたくさん買うタイプでした。
おやすみをいただいて、
「すみません」とか「ありがとうございます」という気持ちだったり
「おやすみをもらっておきながら手ぶらで出勤するのもなぁ」 とか。
この人には普段からお世話になってるしなぁ とか。
「買わない」という選択肢より
「買う」という選択肢の方が
その後の自分にとって楽だったり、
自分の状況や立場を守ることができるという気持ちがあったのではないかと思う。
言ってみれば、
義理チョコの旅行版だ。
義理チョコと同じで、
〝付き合い〟や〝建前〟だ。
そして、
特に気持ちのこもっていない義理チョコには
「お返し」という付録までついてくることになる。
何とも日本人らしい感覚だと思う。
お土産を渡す相手のことをイメージするより、
「とりあえず有名なこれにしとこう」
「価格帯はこれ位が妥当かな」
「お土産買っといたら、申し訳なさが半減するかな」とか。
そんな気持ちが先行していたんだと思う。
人は、
物事を選択するときに
自分にとって『ストレスの小さい』ことを選ぶ傾向があると言われている。
例えば、
誰かに何かを指摘されたとき
「謝る」という行動をとるか
「反論する」という行動をとるか、
人それぞれだと思うが、
「謝る」という行動をとる人は、
自分の意見や意図を説明するより
謝るという行動をとる方がストレスが少ないのだ。
反対に、
「反論する」という行動をとる人にとっては、
「謝る」という行動をとることによって
自分が間違っていると認めることや
誤解されることの方がストレスの度合いが高いということである。
自分に当てはめてみて考えると、
うなずけるのではないかと思う。
お土産の話に戻ると、
私は、
旅行の度に、
わざわざお土産を買うための時間を確保していることに疑問を持つようになってきた。
お土産売り場に行くために早めに出発したり、
数を数えたり。
偶然であった素敵なお土産を買うのではなく、
カタチとしてのお土産を買っている自分の行動、、、
なんか変な気がするな、、、と。
そして、
思いのこもっていない、
カタチだけのお土産を探すことや買うことがめんどくさくなった。
私にとって旅行は、
いつもの生活から離れて電源をオフにすること。
そして、
自分自身も何かカタチに残るものが欲しいわけではない。
(むしろ、できるだけ物は増やしたくない)
「義理」「付き合い」のために使う思考を
シャットダウンすると、とても楽になる。
あ!
もちろん義理じゃないお土産を買うことはあるよ!
そして、
お土産を買うことが悪いという話というわけでもないですよ!
物事の背景にある、自分の思考を覗いてみると、
思いがけない発見があるよ!というはなし。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?