日記を始めてみる
こんにちは〜かなえです。
フォロワーが「日常のことを書いてても人によって違うのが面白い」ていってて確かに〜と思って書いてみた。
いつまで続くかわからないけど、日常とか好きなものとか嫌いなものの話をのんびりしていけたらいいなって思います。
人と暮らしてる話
最近人の家に転がり込んで居候してます(最悪)
転がり込んでる奴が言うのもあれですが、人と暮らし始めてひとりの時間って本当に大事だな〜って気づきました。ひとりって、軽やかで、自由で、尊い。
先月くらいに仕事の忙しさも相まってボロボロになったので、最近は休みの日にひとりで映画を観たり、カフェに行ったり、パン屋のパンを食べたりしてひとりで過ごせる日は過ごすようにしてます。岩盤浴にも行きたいな。
ひとりで行動していると、まるで自分がきちんとした大人になったような気がして、胸が弾む。ひとりってなんでもできるような万能感すら感じる。
元々寂しいと言う感情が希薄なのに、そもそも何故私は転がりこんだんだろう。(前も一度人の家に転がり込んだことがあるけど、それはすぐに自分の家に帰った)
私は本当にどうしようもずぼらだからいつも家主に怒られている。一人の時間なんて同居人がお風呂に入っている10分程度しかない。
職場も自宅より遠くなったし定期圏内からはみ出てるのでその分のお金を払っている。
冷静に考えれば本当何もメリットないなあ。
なのに、今日もふたり分の食材を買って、自宅の最寄り駅の数駅先で降りてる。不思議。今日は親子丼を作ります。
パン屋のパンの話
パン屋のパンは幸福の象徴かもしれないとすら思う。
休みの日、昼前になったらお家を出て、近くのパン屋に行くようになった。(パン屋って朝早く……それこそ7時とかからやってるイメージがあったけど意外と10時とかしかやってない)
なんだろう、パンってどこでも買えるじゃないですか。コンビニでも、スーパーでも、どこでも。
だからこそ、パン屋のちょっと高いパンを買うことにハマってる。香ばしい香りや、ずらりと並ぶパンを見た時、私は確かに幸せになってしまう。スーパーで買うパンより、パン屋で買うほうがたぶん100円くらい高いんだけど、あの100円は幸福への対価なんだと思う。100円で幸福が買えると思うと、安いのかもしれない。
パンはなんでも好き。惣菜パンでも、菓子パンでもなんでも美味しい。
ただ、初めて行くパン屋では絶対メロンパンを買うようにしてる。
知り合いが居酒屋に行くと毎回律儀にきゅうりのタタキを頼むんですが、その人曰く、きゅうりのタタキが美味しい居酒屋はほとんど全部のメニューが美味しいらしいです。私も同じ理論でパン屋に行くとメロンパンを買っちゃう。メロパンが美味しいパン屋は、なんでも美味しい。
あと大事なことがひとつあるからちゃんと聞いて欲しい。パンにはカフェオレ。これは譲れない。
最近観た映画の話
『ピアノ・レッスン』を観ました。
ただ、内容自体はどうだろう。
少しズレるかもしれないけど、ちょっと前の映画にたまにある、不自由で決められた人生しか歩めない女性が決められた男性と結婚を強いられるが最後は自分が本当に好きになった男性と結ばれるという話に触れるたびに、結局家父長制の仕組みからは抜け出せてないのではないか?という疑問を感じてしまう。
ただ、ヒロインの表情は印象的だった。じっとこちらを見る大きな瞳、ぎゅっと閉じられた口から抑圧された感情が読み取れる。
『燃ゆる女の肖像』でも感じたけれど、社会から抑圧されている女性の表情が好きなのかもしれない。無表情の奥に、強い感情が蠢いているのを確かに感じる。もうほとんど絵を描いてないけど、絵を描くならああいう表情をずっと描いていたいなって思う。
映画を観ること自体が久々だったから、改めていくらかのお金を払って真っ暗な部屋でひとつの作品と向き合うことそのものが、私にとっては癒しだなぁと実感した。
映画って大好き。作品に対しての感想が、感銘でも苛立ちでも感動でも憎しみでも、どれも等しく尊べる唯一の媒体だと思う。
元々私が映画を観るようになったきっかけが『ブレスレット 鏡の中の私』ていう映画なんだけど、最近はそれにちょっと似てる気がする『落下の解剖学』が気になってる。
でももっと気分が明るくなる映画が観たい気もしてる