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山歩きで人生を悟る

時間ができたら近所の山を歩く、という趣味がある。
一人で黙々と山道を歩いていると、いつもなら思いつかないような人生のあれこれを頭の片隅で考えながら歩いてしまう。

ある時思ったのが、山道は人生という時の流れに似ているということ。

登りに登って平坦な場所を歩いていると、また登りが現れる。
また登りかよ・・・とゲンナリする。
登りきったと思って降りをサクサク降りていると、また登りが現れる。
登らすなら降らすなよ・・・と悪態をついてしまう。
頑張って頑張って登り切ると、その場所でしか見ることのできない絶景を拝める。

全くもってこれは人生に似ていると私は思う。

登山口に立った時、私はまだ赤子。

最初は平坦だけれど次第に道が登り坂になってくる。
ここは小学生くらいだろうか。
時々藪かきなんかもしながら途中のポイントに到着して一息つく。

なだらかな道が続くなと思っていたらロープを使って登るような坂や崖の登場だ。
これは思春期くらいかな?

先人達が登りやすいように用意してくれた虎ロープに助けられながら
えいや、えいや、と登って行く。
ロープ、ありがたい。これが無いと前に進めない。これぞ先人の知恵。
しかしこのロープに頼りすぎると危険な目にもあったりする。
(ロープが緩んでいて落ちそうになったことがある)
先人の知恵にあやかりつつ自分の力で進んで行かなくてはならない。
この辺りは成人して自分の力で生きていくぞ!という頃かな。

進む先々できれな花を見つけたり黄色や赤に染まった落ち葉なんかをみて四季を感じながら、なんだかほっこりしたりする。これは、頑張った自分へのちょっとしたご褒美だ。

途中、行動食なんかを食べたり休憩しながらひたすら歩く。
登りの途中で振り返って自分の歩いてきた道を眺め、こんだけ登ったのか!自分頑張った!と自分で自分を褒めたりする。

登って登って登頂した時にみる景色は、これまでの人生での最大のご褒美だ。
ヤッホー!と叫びたくもなるのもわかる。(叫ばないけど気持ちはわかる)
一息ついて食べるお弁当の美味いこと!

この時間は人生でいうところの、青年期〜壮年期あたりかな。一人前になってそろそろ家庭なんか持っちゃって会社でも責任あるポジションについたりする頃かもしれない。
自分で会社起こしたり、今までやってきたことを基盤に新しいことを始めたり、飛ぶ鳥をおとす勢いのころかもしれない。

頂上を満喫した後は、帰る。
ずっとてっぺんでいるわけにはいかない。
自分の落ち着ける場所へ帰るのだ。
中年期辺りか。

降りこそ気を抜いてはいけない。誤って落ちてしまった場合真っ逆さまに転がってしまうから。
慎重に一歩一歩進んでいく。これまで頑張ってきた足が疲れでプルプルしはじめる。お疲れさん、あと少しよと元気付けながら進んでいく。
人生で言うと子供も成長して手が離れ、そろそろ老後の事を考えるあたりかもしれない。

帰り道とはいえ時々登りも現れる。
行きの勢いはないけれどよっこらしょよっこらしょと登っていく。

歩いて歩いて、次第に聞き慣れた車の音や人の声なんかが聞こえてくる。
出口の登山口はもう少しだ。なんだかホッとする。
無事下山できそうねと胸を撫で下ろす。

本日の行程を思い出しながらゴールの登山口をくぐり抜けた。

山歩きしながら人生の一連をなぞった気分。
似てませんか?人生と山歩き。
いつもなら考えつかない思考回路になる山歩きが、私は大好きだ。

年齢の区切りに置いて、いろいろな定義があるようですが
ここでは厚生労働省のいくつかの調査に基づき
「幼年」は0~4歳、「少年」は5~14歳、「青年」は15~24歳、「壮年」は25~44歳、「中年」は45~64歳、それ以上は「高年」と定義しました。


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