社会のすみっこ暮らし、ニジガクを見る
どうしたって消せない夢も止まらないなんとかかんとかで長男だから頑張れたアニメ(漫画)が流行っている昨今、皆様はいかがお過ごしだろうか。
アーカードの旦那が人間を礼賛するように、あるいはジョースター家に紡がれる黄金の精神のように、「諦めることを諦める」という人間賛歌は尊く、素晴らしい物であるというメッセージ性を持って我々に君臨している。
「鬼滅の刃」作中において主人公炭治郎が自分を鼓舞するために言ったセリフが印象的なのだが、この人間賛歌というやつの厄介なところは、まず前提として「自分を肯定できてなくてはならない」のだ。
だからこそ、ニジガク第三話で高咲侑が「ラブライブに出なくてもいい」と叫んだのは、ある種新時代の──誰もが肯定感に飢え、相対化された世界で自分を見失っているが故の、強いメッセージなのではないかと、僕はそう感じている。
何故なら、僕は僕を認められていないからだ。
夢を見たけりゃ賭けるしかない。しかして博打は胴元しか儲からない。そんな社会のすみっこ暮らしが、少しでも「ラブライブに出なくてもいい」という言葉に勇気をもらえた、これはそういう話である。
そして、夢を見たくて賭けている、そして読んでくれている方がいるから書けている拙作の宣伝で、恒例の本稿の締めくくりとするものである。