社会のすみっこ暮らし、彷徨う
エッセイじみた物を書こうと思ったことに理由はない。ただ単に、このまま年が暮れていくのもなんだと思った、それだけの話だ。
十月。ちょっと前まで九月だったのに、それすら終わろうとしていて、2020年という激動の年もまた百代の過客として、どこかに行こうとしている。
時代という船に揺られている我々はどこに行くのだろうか。経済学者が、あるいは政治家が、そんなことを日々喧々轟々と議論しているのだろうけれど、社会の隅っこでひっそりと息をしている私は、どこに行けばいいのかわからない。
などと、大層なことを掲げてはみたものの、要するに私は、何を思ったのか「小説家になろう」なるサイトに登録して一次創作を始めたというだけの話である。
なんでこんなことしたの、と、その理由はわからない。私はアマチュア作家と名乗るのもおこがましいレベルで、二次創作しか書いてこなかった身だ。
そんな身で、日々流星の如く魅力的な作品や、あるいは書籍化という一つの夢を叶えた作品が更新を続ける中で、ひっそりと、それこそ隅っこで暮らしているように──私は毎日、自作を更新し続けている。
思うに、私は小説家になりたいのだろうか。
わからない。何故なら私はずっと、将来の夢の欄に何も書けなかった、あるいは場当たり的な答えを書いてお茶を濁してきたような人間だからだ。
それでも思うのは、夢を追うのに早すぎるということはないのだろうなあ、と、星屑の中で燃え尽きる一欠片は、燦然と輝く天上の星座を見上げて、そんな風にハンカチを噛んで噛みちぎっ……たりはしないけれど、無情を感じたりはするのである。
なろうと言われてなれるなら、苦労はない。なりたいと思ってなれるなら、それとまた同様だ。
カラスの鳴き声が聞こえる秋の夕暮れも、気づけば冬の匂いを纏ってきた。私にどれほどの時間が残されているかはわからない。
だが私は、何かになれるのだろうか。失っていく年月と、そして喪われてしまった替え歌を口ずさみながら、今日もこうして、電子の海の底辺をただ放浪し続けるのみである。
もしもこの文章を目に留める誰かがいてくれたのなら、下記のURLから是非とも拙作をご笑覧いただければ幸いである。
そう願うことで、本稿の締めくくりとさせていただきたい。