【忌憚幻想譚12話】ゆめゆめ【ホラー短編集】
私がこれから語るのはよくある夢のお話でね。
私は夢を観賞するのが好きだから、誰かの夢を徘徊するのが趣味なのだ。
夢とはヒトの潜在意識。
夢とはヒトの願いや絶望。
ほら、今日の夢主はなにかに追いかけられているようだ。
黒い影――とでも例えようか。
さて、あれはなんだろうね。
ヒトの悪意か、それとも抱えきれないストレスか。心が疲れてすり減った状態なのかもしれない。
あはぁ、君にも心当たりがあるのかな?
ならばさぞや美味な夢を見るのだろうね。
……さて、話を戻そうか。
黒い影はヒトのようであり、膨らんだ蛸のようであり、はたまた羽虫の群れのようだった。
夢主を呑み込まんとして凄まじい勢いで進む影。
夢主はなんとか逃げようと藻掻いているが、うまく走れずにいる。
夢でよくあるだろう? 走ろうとしているのに手足が連動しない。景色が進まない。そんなことがね。
あはぁ、ならば少し私がお節介をしようじゃないか。
ツカツカ歩み出て、私は夢主に向かって優雅にお辞儀をしてみせた。
「やあやあこんにちは、はたまたこんばんは。今宵は素敵な夢ですね」
「あいつらが来る! 早く逃げて!」
夢というのはこのとおり、異物が好意的であればあるほど警戒されないものなんだ。
では、こうするとどうか。
「あはぁ、あの影は私を襲うでしょうか? さあ、どうでしょう?」
私が両腕を広げると、夢主の後ろから迫っていた影がビタリと止まる。
膨れ上がる警戒。警戒。警戒。
さすが潜在意識とでもいおうか。
異物を認識したとき、夢主はいったいなにを思うのだろうね。
夢の世界は脆く儚い。
世界線が塗り変わり、すぐに違う形へと転じる。
海にいたかと思えば町に、町にいたかと思えば空に。
そんな経験、あるだろう?
ここでも影が空に溶けたかと思えば、四方に壁が現れる。
歪な窓からは隣のビルが見え、並んだ机には紙の束が積み上がっていた。
夢主は急に転じた世界に瞬く間に順応してみせる。
これもまた、夢ではよくあることだ。
言うなればドラマのワンシーン。夢主はさながら主演俳優というわけだね。
はてさて、ここはどこかの会社だろうか。あくせく働いているのは夢主の知人たちかもしれない。
けれど、そのうちのひとりが夢主の隣に音もなく立ち、いつのまにか書類の束を持っていた夢主は振り返る。
「お前はもうクビだ。もう不要だ。ゴミだ。消えろ」
途端に周りにいる者たちがおんなじ顔で笑い出す。
「あはは」「あはは」「あはは」「あはは」
夢主は絶叫して走り出し、笑う彼らは再び黒い影となった。
あはぁ、これはなんと趣味の悪い。
私は双眸を細め、唇の端を吊り上げる。
「ああなんと美味しそうな夢でしょう。私が食べて差し上げますからね」
こんなに怪談じみた夢、私が観賞するためのコレクションに加えなければ勿体ないだろう?
私はこちらに逃げてきた夢主の顔に手を伸ばし、そのまま掴んでいっきに齧り付く。
「ぎゃあああぁっ⁉」
ああ、美味。美味。美味だね。
夢主を喰えばどうなるか。答えはシンプルだ。
夢が醒めてしまう――つまり夢主が目覚めるのである。
喰った夢主は心身ともに非常に消耗してしまうのだが、命の灯火まで消えることはないから安心するといい。
私にとって欲しい夢でなければ、ただ徘徊して楽しんで、次の夢へ移るだけ。
けれど夢主たちはどうやら断片的に私を憶えているらしい。
『夢で見た知らない誰か』が発表されたのを知っているだろうか。
どうもその顔が私によく似ているようだ。
あはぁ、その誰かはただの実験で作られたはずって?
そう。これは面白い結果なのだよ。
かくいう君も、実は私が存在することに気付いていたのではないかね?
だからこうしてここにいるのではないかね?
さあ、ゆめゆめ忘れる事なかれ。
私は今日も、夢を徘徊している。
目覚めた瞬間に疲弊していたのなら、私が君を食べたのだ。
そして私を認識している君。
いま、この瞬間。これははたして現実かね?