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音楽の羅針盤


音楽の羅針盤

なんで音楽を始めたのかって、正直「なんとなく」が答えかもしれない。好きな曲を聴いてたら「自分もやってみたいな」って思っただけ。ギターを手にした日から今に至るまで、どこかで音楽が自分の道しるべになってた気がする。

そんな僕の音楽人生には、欠かせない存在がいる。それが奥田民生、坂本龍一、そしてワイルドハーツ(ジンジャー)。この3人との出会いが、僕をどんなふうに変えてきたのか、今回はその話をしてみようと思う。

奥田民生:音楽の楽しさを教えてくれた存在

奥田民生を初めて聴いたのは中学生のときだった。最初に出会った曲は「息子」。当時、世の中では小室哲哉やMr.Childrenが流行り、僕自身もTRFなんかを聴いていたから、正直かなりの衝撃を受けた。「こんな音楽があるのか!」と。

そこからユニコーンというバンドを知り、彼らの曲を片っ端から聴き漁るようになった。デビュー当初から解散までの間に、本当にいろんなタイプの楽曲があって、ただ流行りの音楽を聴いていた僕の音楽生活を一変させた。気づけば、音楽を「趣味」として楽しむようになっていた。

奥田民生の音楽はどこか肩の力が抜けていて、自由で、それでいて確かに心に響くものがある。そこに魅了され、今でもずっと僕の音楽の原点として存在している。

坂本龍一:音楽の可能性を広げてくれた存在

坂本龍一を初めて意識したのは、テレビCMで流れていた「Energy Flow」だった。その繊細で静かなピアノの音が耳に残り、「この曲、誰が作ったんだろう?」と調べたのがきっかけだった。

ちょうどその頃、ドラマ『ロングバケーション』のキムタクがピアノを演奏するシーンに憧れて、小学校から中学まで続けていたピアノ教室に、もう一度通い始めていた時期だった。再び鍵盤に触れる日々の中で、坂本龍一の音楽は特別な刺激を与えてくれた。

彼の作品を掘り下げていくうちに出会ったのが、YMOの「東風」だった。「こんな曲を作る人がいるんだ」と驚いた。曲の展開や構成、そして印象的なメロディーに一瞬で引き込まれた。さらにYMOを知る中で、小学校の運動会で踊ったダンスの曲が「RYDEEN」だったことに気づいた。当時はただ楽しい曲だと思っていたけれど、高橋幸宏が作曲したこの楽曲がYMOを代表する一曲だと知り、改めてその音楽の奥深さに感動した。

今でも曲を作るとき、「坂本龍一だったらどんなふうに考えるだろう?」と思い浮かべることがある。それくらい、彼の音楽は僕にとって羅針盤のような存在だ。

ワイルドハーツ(ジンジャー):ロックのエネルギーに触れる

ワイルドハーツを知ったのは高校生の頃だった。友達から「このバンド、マジでヤバいから聴いてみて」とアルバムを渡され、最初の音が鳴った瞬間、そのエネルギーに完全に飲み込まれた。重たいリフの中にキャッチーなメロディーが溶け込んでいて、ただのヘビーな音楽じゃない。ジンジャーの声とコーラスの迫力、そしてダニーの弾き方の独特なスタイルと存在感あふれるコーラスが、バンド全体をさらに引き立てていた。
彼らの音楽に触れたことで、僕は「本格的にバンドをやりたい」と強く思うようになった。間違いなく、ワイルドハーツとの出会いが僕の音楽人生の大きなターニングポイントだった。

自分の音楽の原点

奥田民生、坂本龍一、そしてワイルドハーツ。彼らとの出会いがあったからこそ、僕の音楽人生は今の形になった。ただのリスナーだった僕が、自分で楽器を手に取り、音楽を作りたくなったのは、間違いなく彼らの影響だ。

これからも彼らの音楽に背中を押されながら、自分なりの音楽の道を歩んでいきたいと思う。

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