伊達政宗の遺訓「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」を知った時の話。
こんにちは。
今日もお仕事お疲れ様です。
偶然ですが「今日の言葉」という項目をパソコンで見つけて、そこに書かれていた言葉に目が止まりました。
「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」
パッと見た時の印象は、
「誰の言葉なんだろう?
分かったような分からないような……。
何となくだけど素晴らしいーー気がする」
という感じ。
意訳が知りたくなり、検索してみました。
こちらの言葉は、戦国武将として有名な伊達政宗の遺訓の一部分でした。
いくつかのサイトを閲覧してみました。
まとめたのが下記の通り。
「自分はあくまでこの世界に招かれた『客人』である。
お世話になる『客人』の立場で考え、少々不自由な思いをすることがあっても、不満を言わずに過ごすこと。
粗相のないように努めることを苦労だと捉えないこと」
というところでしょうか。
古くからの日本人的な考え方の『客人』にはなりますよね。
最近だと「お客様は神様」というような考えがまかり通ることがしばしばありますが……。
少し現代とニュアンスが異なる面もあるかもしれないですね。
『客人』らしく丁寧に、謙虚に振る舞うこと。
訪問先で、相手の都合や立場を優先するように。
中には「もてなされて当然」といった横柄な態度をとる人もいますが……。
今回は日本人的な考えでいきましょう。
招待してくれた相手方が気心の知れた間柄の方ではなく、取引先だったり上司だったりすれば、粗相のないように注意を払うでしょう。
たとえ、招かれた場所で美味しくない料理を出されたとしても、
「こんなの不味くて食べられないわ!!
何考えてんの!?替えてよ!!」
なんてその場で言えないはず。
少なくとも私は小心者なので、出されたものは苦手でも頑張って完食するかと思います(苦笑)
心の内で思うだけに留め、その場では笑顔で振る舞おうと努める。
こういったシチュエーションで我慢することを「苦労」「不幸」と考えるべきではない。
と解釈しました。
もっと広い意味で言うと……
私たちは、この世界に招待された『客人』。
既にこの世界にお邪魔しているようなもの。
さまざまな偶然や奇跡が重なって、現在を生きているんですよね。
『客人』として招待してくれた事に感謝し、謙虚に生きる。
多少の不満には目を瞑り、周囲の人たちと気分良く過ごすために自分本位な考えから距離を置く。
ということを心がける。
まあ、現実は理不尽な出来事は山ほどありますし、不満に思うことなんてめちゃめちゃあります。
何で自分ばっかり……。
どうしてこんな目に遭うの!?
納得いかない!!
自分目線で考えると、余計に腹が立ちます。
腹が立つからこそ、自分中心的な考えから一歩引いて、客観的な視点も取り入れる。
飛躍した考えかもしれないですが、派生してこんなことを考えていました。
この言葉はあくまで伊達政宗が遺した『五常訓』の一部分です。
今回紹介した一文の前後の言葉もとても素晴らしいですが、それはまたの機会に。
私個人の考えになりますので悪しからず。
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