何かを変えたくて②
昨日の続きです。
脱 定期的な何もしない期に向けて
・好きだったはずのものが嫌になる
・何もしたくなくなる
・お風呂に入れない
・誰とも話したくない
まぁこれに当てはまるものと言えば、鬱だなって思います。
私の場合なんでもできちゃう時期と何もできない期が交互に来るので躁鬱でしょうか。
でも、鬱や躁鬱と診断されたからって治療して改善しても根本的なことを変えないと繰り返すし、というか私の場合、繰り返す何もしない期から、復活する術だけは学んだので、治療は必要ないんです。
必要なのは、再発防止。
再発防止のためには原因から。
今までの何もしない期の学びから、定期的な何もしたくない期の訪れの原因が、頑張っていた時の【自分の頑張り】による疲れではなく、周りの人や空気による疲れだということは分かっています。
私はいわゆるHSP(ハイセンシティビリティーパーソン)で、近くにいる人の機嫌や体調が自分の中に入ってきて、それが自分のものか人のものかが分からなくなったり、何を話しているか内容が聴こえなくてもおおよその内容が掴めたり、と外界にいるだけで情報が多く入ってきます。
だから、携帯一つで済んで、なおかつ相手からは自分が見られない、感じられない世界が大好きで、疲れないために必要最低限の本業以外なるべく人と関わらないような生活スタイルを選ぶようになりました。
それが私が今まで学んだ何もしない期の深さをなるべくましにする方法です。
実際そのおかげで今回の何もしない期は少し仕事ができたり、と深さがましになりました。
必要な時には単発で力を出すこともできました。
でも、変わらず何もしない期が訪れることは変わりません。
なので今回の何もしない期では違う角度の学びが必要だと思い、さらに深く原因を考えることにしました。
脱 定期的な何もしない期に向けて今回新しく気がついたこと
(やっと前の記事の冒頭にもどります笑)
そんなに激務なわけでもなく、調整しながら仕事していたのに、変わらず何もしない期は訪れる。
もっと外界との関わりを減らす?1人の時間を増やす?
う〜ん。しっくりこないですね。。
となり、じゃあなぜ、人や空気で疲れるの?情報量が多くて何が疲れるの?と自問自答していくと、【感情が揺れる】と言うことに気が付きました。
人や空気から何かを感じれば、それに伴い自分の感情が揺れる、それに疲れているんだ、と気がつきました。
何もしない期の何もせず感情が動かない【凪】と、本業で精神削って感情が揺れ動いてる【修羅場】、無駄なものを挟まない、感情の急上昇と急降下、これの繰り返しが躁鬱状態を作っているのでは、という考えに至りました。
そして、凪と修羅場の間に挟むのが、前の記事の冒頭の、【ささやかな感情の動き】、、、
今の私にはこれが必要なのではないでしょうか。
続きは明日にします。
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