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日記の心地良さ

人の日記を読むのが楽しみのひとつとなった。読んでいるとなんだかとても心地良い。この心地良さはどこから来るのだろう?

人の生活を垣間見える?もちろんそれもあるだろう。頭の中をのぞける?うん、それもある。

でも全部が全部、それらが当てはまるという訳ではない。

もともと本を読むのは好きで、大学生の時は電車やバイトの休憩で読みやすい文庫本の小説を。社会人1年目から3年目は電車通勤だったので、これまた文庫本を。2、3年前からは独立系書店で出会ったときめいた本たちをしばりなく読み漁った。

でも日記本と言われる本たちは手にとっていなかった。

産後(今年の1月)、友人と生活について、これからの自分の向き合い方について、話した時におすすめされた本が日記本。

食わず嫌いなのか何なのか分からないけれど、読んでこなかった分類の本。

でも、その友人の言葉はいつもすっと心に入ってきて、心を解きほぐしてくれるので、素直に読んでみたいと思い本を借りた。

読んでみるとどんどんとはまっていくのが分かった。自分と重ねて読める部分。あぁ、こうしてその気持ちを乗り切ったのか、と先人の動きを勉強させてもらった部分。いっきに読み進めたと思ったら、書店で手に取る本はどんどん日記本へと化していった。

私は日記に何を求めてこんなに色んな人の生活を覗いているのだろう、とふと思った。

私は人の気配に飢えているのではないだろうか。

今やインターネットやSNSで何でも情報収集できる時代。なるべく見ないようにと思いながらもSNSに時間を喰われているのも否めない。デジタルに時間を消費してしまった時のあの喪失感。もったいない。

デジタルって何であんなにも人の心を無にしてしまうのだろうか。(一概に全てとは言えないが。)ただスクロールして時間も心も消費してしまっているような感覚。きっと情報過多で、ときめいたものだけでなく、どんなもの(それも切り取られたもの)でも入ってきてしまい、受け止める心の容量がオーバーしてしまっているのだろうか。

それに比べ本は心に優しい。書き手の気配を感じながら、ただ一点、その作者の心を読み取る作業。

そこで気づく。書き手の気配、人の気配が感じられる制作物の究極って、日記じゃないんじゃないかって。

人の生活、考え、心の動き、が綴られている日記。きっと私はそれらに魅せられている。切り取られた日常ではなく、赤裸々な日常。人の気配というより、もしかすると人間臭かったりもするのかも。

その人間臭さに魅力を感じてしまう自分がいる。あぁやっぱり人ってひとりひとり違うから面白いのかって。

これからも、本を出しているような人の日記も、友人の日記も、知らない人の日記も、こぞって読んでしまうんだろうな。

もしかすると子を産んで、人間に対してまた一つ先の愛情を見出したのかもしれない。

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