あまり愛されなかった小さい頃がくれたギフトに気付いた日
仕事で障害福祉に携わっている。
介護。という業務。
言い方はわるいが、ひとさまのお世話といえばいーのか。
そして、帰宅してからも認知症の母のお世話。
今回の山羊座満月とともに、怒りがスパークルした。
仕事は致し方ない。
しかしだ。家にかえって、すきなことだけして、テレビをみて、お菓子しか食べない母に怒りが噴き出した。
噴火した。火山が。
この状況を息子たちは、わたしの噴火がすごすぎて、地面が揺れすぎて歩けない!とか言うのだけど。
聖人君子じゃないから、仕方ないです。
この、バタバタしてるときに、何も手伝わない母に
いままでなら、言わなかったことをうんとゆった。
母は俗に言う、毒親だった。
否定しかしない。自分の好きなものだけが正しくて、子どもに選ぶ権利なんぞはなかった。
よく叩かれましたしな。
そして、男にはしった。
家にわたしを夜な夜なポツンとおいて。
「わかいときから、他人に迷惑かけて、自分のことしかしないよな!!!!むすめは奴隷かよ!!!」と叫んでいた。
家政婦じゃない、わたしは。と
認知症ではあるが、まだまだできることはたくさんある。
四の五の言い訳を繰り広げてきたが、火がついた私の怒りは、口答えを遮るように怒りちらしていた。
いったん、終息させて、行き場のないモヤモヤを感じながら、用事をすませたら、熱があがりだした。
いや~コロナかなー。とおもったが、37.5までしかあがらない。
モヤモヤしながら、動画をみていたら、とある方が毒親の親がそーゆう対応だったから、自分の長所ができあがった。と流れてきた。
そのときに、はっと気付かされたのだ。
わたしは、母がヒステリックで、生まれてきてほしくはなかったとか、けっこうな数々の暴言をいわれ、ほったらかしにされてきたから、こそ、
子どもたちにはおなかに入る前から
心理学や波動水で意識をクリーニングしたり、
オルタナティブスクールに通わせたりして、
本来の自分を信じて、頭ぶつけても、感謝を忘れずに自分の幸せをしっかり、理解して、生きていってほしいとおもったんだと。
いま、わたしや息子たちの関係性をみると、
なかいいですね!とよくいわれる。
もちろんけんかもする。意見のすり合わせもしなきゃいけないときもある。だけど、本音の付き合いが親も子も、1人のひととしてできあがっている。
それは、母のおかげでしかなかったことにきずいた。
もし、一般家庭のように、こーゆうことがなければ、わたしはそちらに見向きもしなかった。
はじめは自分の傷と向き合うためだったけどね。
母親にすごく感謝した。
それと、同時に許せた。
長年、許せているようで憎む気持ちはふとでてきたから。
これで、よかったんだっておもえた。
宇宙の采配に感謝。
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