弱者属性を盾に強者になるということ
先日、私のTwitterがちょっと炎上しました。
きっかけのツイートはこれ
これに対し、ある方からカナダが楽だと言えるのは私が都会に住み、知識職で上級国民側にいるからだ、日本人はもっとindigenoues(先住民)や有色人種の女性が晒されているカナダの問題を勉強するべきだ、という指摘をもらいました。
これに対し、私はこのように反論しました
そして、これにたくさんのリアクションをもらいました。
お相手の方にどれくらい反論が行ったのかは分かりませんが、その方はアカウントに鍵をかけはじめたので、私の反論やそれに集まるメッセージも見ていたと思います。
お相手は私のことを「名誉白人」になっていて「上級国民側」だと言われていたのでその人には私がそう見えていたのだと思います。
でも実は私は属性的には「弱者」と分類されるような人間で、私の方に大量の味方が集まってしまったのです。
弱者を攻撃する強者、そして弱者を守るたくさんの人の構図になってしまいました。
上のツイートに嘘はありません。家族に大卒のものはおらず、シングルマザーで生活に困って九州の片田舎に出戻ったただの女です。うちのレベルで上級国民だなんてとんでもない。
でも、今回のこの騒動で、ふと客観的に見たときに「あ、今の自分って強いな」と思ったんです。
弱者が声を上げた状況に、たくさんの人が賛同を表してくれて、守ってくれて。
もっと薪をくべて燃やそうと思えばもっと燃えるだろうと思ったし、
うっかりすれば勘違いして「もっと、もっとかわいそうな私を守ってくれ」と言ってしまいそうな気持ちになりました。(なったんかい)
人間の心理ってそういうもんじゃないでしょうか。
でも、わたしは別に弱者でもありません。
安定した家庭で育ちましたし、学歴はありませんが生活に窮困してご飯が食べれなかったことはありません。
今もこうしてカナダに来れているだけでも十分強者です。
新しい人生を選ぼうと思えるだけでも。
今回私に味方してくれた人のおかげで守られたのは確かだし、今回のように謂れのないことでバッシングを受けたときに立ち向かうのは、他の同じような立場の人のためにも、正しいことだったと思います。
そして私のために声を上げてくれた人も、ひとりひとりは勇気のあるAllyで、誰かが傷ついているときになくてはならない存在です。
でもソーシャルメディアが大量の意見を一度に駆け巡らせることができるツールである以上、個々の力が集まったときのパワーはともすれば凶器になります。
特に今回の相手のように別に悪人ではない人とのいざこざレベルのときに、それに反対する勢力が大きくなりすぎてしまうと、逆イジメのようになってしまう。
今回も、言いたいことはちゃんと反論して、一応向こうにも反論の余地も残して、ある程度たったところでもうその話は終わりにしました。
でもツイートを消したりはしていなかったので、あとからあとから声をかけてくれる人が増えてちょっとヒヤヒヤしました。何度も言いますがその一人一人は勇気のある善人で、声をかけてくれた人を悪者にはしたくなかったのです。
今回は小規模の炎上だったのできれいに(?)まとまり、1日で終わりましたが、インフルエンサーとかでこれをしょっちゅう経験している人はどんなメンタルしてるんだろうと思ったり。ダメージ半端ないと思います。
とはいえ、今回は声をかけてくれた人たちのおかげで本当に心が救われましたし、私も困っている人がいたら守ってあげられる人になりたいと改めて思いました。正義の暴走にならないように気を付けながら。
改めて、今回声をかけてくれた方、ありがとうございました。
声まではかけられなくても、いいねして寄り添ってくれた人、心の中で味方になってくれた人にもありがとうと伝えたいです。
Twitterでこの話をするのは終わりにしましたが、相手の方を攻撃する意味ではなくこの騒動から感じたことがあったので記事にしました。もう一つ書く予定です。特に拡散は求めていません。
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