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”本当の幸い”について考えさせられた夜。
今日は所用で、普段は使わないバスでの移動がありました。
私は少しバスが苦手。一番酔いやすい乗り物で、スマホも本も見ることができず、時間を持て余しがちだからです。
そんな今日も何もすることができず、何気なく窓の外を眺めていました。
(あ、知らないお店が出来ている。
可愛いカフェ。何て店だろう?)
ぼーっと外を見ながらバスに揺られていると、ふと視界に小さな動く"者"が。
バスの内側、窓の黒い桟(さん)に、薄い緑色の小さな羽虫が、窓を登ろうと動いていたのでした。
少し登っては、落ちて。暫し止まっては、登ろうして、また落ちて。
小さな体でずっと繰り返しているのが目に入ってきました。
(この子は外に出ようとしているのかな。でもここはバスの中。たとえ上まで行けたとしても、外には出られない。)
私は暫くそれを眺め、そして、
『自分が降車する際に一緒に外に出してあげようか。』
という考えが過ぎりました。
降りるまであと10分少々。
私はまたぼーっと、今度は小さな羽虫を眺めながらバスに揺られます。
(しかし、私が手を出して外に連れて行くことは、この子にとって幸いなのだろうか。)
やることが無いせいか、思考がくるくる動きます。
(この子にとっての幸いってなんだろう。最善って、難しい。)
もしかしたら、私が手を出さずそのままバスに乗っている方が幸せな未来かもしれない。遠く離れた外へ放つ方が、過酷な世界となってしまうかもしれない。
この子を外に出してやりたいと感じるのは、紛れもなく私のエゴで。
その先のことは、私には分かりません。
正直、私は虫が不得意です。
もしこれが、蜂だったら、ハエだったら、蜘蛛だったら。
こんな悠長に眺めることはしないどころか、慌てて席を変更することでしょう。
何が言いたいかと申しますと、”優しさではない”ということです。
優しさではない。ただの私のエゴ。
確かにそうなのですが、ではこの湧きおこる感情は何なのだろうか。
米粒より小さい緑色の羽虫。きっと草むらにいれば気が付くこともない、小さな存在。
しかし、その子はたまたま私の席の窓で、私の視界に入り、黒い人工物の上で藻掻いていて、
それに対して無性に切ない気持ちが湧き、本来あるべき緑の中へ戻してやりたい気持ちが立ち現れました。
偶然、たまたま、あるいは必然、運命、もしくは、ご縁。
他者を思いやる時、時としてそれが裏目に出てお節介になってしまうことってありますよね。
それが原因で人に干渉するのが怖くなった、という話もよく私は耳にします。
確かに、そう。そう言うこともあります。
でも私は過去に、そんなお節介で強引な優しさに救われたことが何度かありました。
行動はどうあれ、動機はどうあれ、何よりそこに思いやってくれた”気持ち”があることが確かに伝わってきたので、私はただただ有り難い気持ちになりました。
きっとどんな場面でも正解なんてものは無くて、
そこには無性に『そうしてあげたい』という想いだけがあるのかなと、
バスの中で私は考えます。
次のバス停が、私の降りる場所。
色々考えた結果、
(この子の前に指を差し出し、乗ってきたら一緒に降りよう。乗らなかったら、そのままバスを後にしよう。そしてこの子が選んだ未来が、最善であることを、私は祈ろう。)
そう決めて、そっと指を差し伸べることにしました。
私にとってこの羽虫を外に出すことは何の労力にもなりませんが、この些細な行動が、この虫にとって大きく運命を変える行動となることはよく分かりました。
優しさに正解なんてない。
無意識に平気でたくさん傷つけている可能性もある。でもそれは大きな幸いをもたらすこともあるから、やっぱり最善を考えるのは難しい。
最早それは、受け取り側に委ねられているような気にもなってきます。
こんな風に考えるのは、自己中心的で無責任なのかもしれませんが、
私の思考では、正しいか正しくないかは「分からない」というのが最終回答。
ここで一つ大切にしたいのは、
『何の気はなしに取った小さな行動や、意識せず放った一言が、誰かの何かを大きく変えてしまうこともある。』
これを自覚的に生きていきたい、ということです。
今の私には、それが精一杯の答えでした。
さて、例の小さな羽虫は、
私の爪にちょこんと乗ってきました。
OK、それが君の選択なら、一緒にバスを降りようか。
降りるとバス停のすぐ傍に生垣があったので、指に乗っているその子をそっと葉っぱに移してあげました。
あっという間に緑の中へ。姿は一瞬で見えなくなりました。
達者でな。
「ほんとうのさいわいは一体何だろう。」
銀河鉄道の夜という小説の一節が、時々私の脳裏を過ぎります。
”ほんとうのさいわい”
うーん、難しい。
物言わぬ羽虫に対してこんなに難しく感じるのだから、
人に対してはもっともっと複雑で難しく感じます。
しかしこうやってくるくる悩む時間は、私にとって「ほんとうのさいわい」だなぁと、そんなことも思いました。
この問いを与えてくれた小さなあの子へ、感謝の気持ちを込めて。
では、今日は少し長くなりましたがこの辺で。
最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございます!
ではでは。