ヤドカリが ただ 進んでいる
こんにちは。
きっかけアクセサリー作家の、音海奏乃です。
今回は、現状報告のような記事。
ちなみにタイトルは、なぜか印象に残っている三好達治作の「大阿蘇」という詩からいただきました。
現時点はわかる
ヤドカリはいま、自分の現在地はわかっています。でも、目的地はおおよそでしか決まっていません。
たとえるなら、「海に行きたい」と思っても「伊豆は西、黄金崎にしよう」とまでは決めていないような感じ。
でも、そこで「こんな景色だったらうれしいな」というのは決まっています。
海に行ったら、青い空と、自然を満喫したいなぁ……。
そこまでは見えてきたのですが、そのためにどうしたらいいのかは、残念なことに少しずつしか準備できません。
人生いろいろ、課題もいろいろ
ヤドカリには、「いいなぁ」と思う人生モデルがあります。それを実際にしている人も、知っています。
けれど、それはヤドカリにとって「いいなぁ」で終わります。
なぜなら、住んでいる海域が違いすぎるから。たまに、似たような潮だまりで生活している人もいますが、めったに出会えない。それに、似ているだけで、全く同じではない。
というわけで、あこがれのままで終わってしまいます。
ヤドカリは、何もかも投げ出して、どこか遠くへ離れて、というのができないタイプです。
介護のこと、家族のこと、自分の人生のこと。全部が、複雑に絡み合っているので、それを無理やり断ち切るのは、できない。
よく、状況を知らない人は「あなたの人生なんだから、いつまでも介護なんてしなくても」とか「一生独り身だなんて言ってないでそろそろ考えたら」なんて気軽に言ってくる人がいます。
「おだまり!」
と、言いたいけど、そこはもう面倒なのでスルー。
人生は、人の数だけある。環境も、課題も。それを大きく括ろうとするから、面倒くさくなるのに……。
四角い穴に、丸と三角は入ります。けど、星は引っかかります。
星じゃ、いけないなんてことはないはずなのにね。
……サイズによっては入るからって、無理やり削るなんてお断りです。
削ったら、私ではなくなるからね!
そんなわけで、複雑な環境をどうやって生きていくかを、多方面から考えなくてはいけないため、一つの物事がなかなか進まず。
そのため、ほかの人のようにはなれないな、なんて思ってしまうことも。
潮が満ちても、引いても、ただ、そこにいる
いろいろなことを、あれこれ考えながら、今日も生きているヤドカリ。
そう、今日も生きている。
ただ、ヤドカリの人生を送っている。
それだけは、毎日ゆるぎない事実となり、積み重なっています。
最近は、「せっかく生きているのに」などの考え方を手放しました。一日あったのに、成果が出なかった、と考えていては、落ち込んでいたからです。
ただ、少しずつ進んでいた。
その事実があれば十分じゃないかな。
そう、思えるようになったのです。
あの人みたいに、早くはできない。その人みたいに、同時にあれこれできない。そういう比較も、投げ捨てました。
時間は平等なのだから、少しでも早く動いて、利益を出して……。その考え方も、わかります。世間に置いて行かれているヤドカリにも、それくらいは痛いほどにわかっているのです。
けど、できるところまでしか、できない。
焦ってことをし損じるより、小さな一歩を積み重ねていきたい。
それが、今の考え方です。
誰が何と言おうと、ただそこに、ヤドカリがいる。
自分らしく生きている、ヤドカリがいる。
そんな生き方が、理想なんです。
お金とか人生とか、そんなものはおいておいて。
ただ、ヤドカリがそこにいる。
それが、大切。
……なんて言いながら、将来への不安も尽きませんがね。
でも、人生どうにかこうにかなるようにできていると信じて。
悩みながら、ヤドカリは今日も、進んでいくのでした。
きっかけアクセサリー作家
音海奏乃