人生というブランコを楽しむために。
ポジティブキャンペーンの揺り戻し?
なぜか、ここ1週間ほど不調である。
特に3日ほど前からは、「生きる」と決めたはずの自信さえ失いかけているという状況。
さらには頭の中で
「バカじゃないの?」という言葉がメリーゴーラウンドのようにぐるぐると回り出すに至っては、もう何ともしようがない。
これは一体どういうことなのか、と自分に問いかけてみたものの、感情の波が激しすぎて落ち着いて瞑想することもできない。
もしかして・・・「揺り戻し」ってやつか?
*
実は、もともとネガティブ思考にほぼ支配されていた私は、そこから脱出するためにこの1年というもの、極端とも思えるポジティブ思考への転換作戦を実行していたのだ。
初めは自分の持つネガティブ思考すべてを葬り去ろうとしていたのだが、そんなことは到底無理だし、またネガティブにはネガティブの良さがあり、時に必要なこともあるのだということもわかり(もしも100%ポジティブ思考な人がいたら、それはそれで羨ましいとは思うが)、少し前からネガティブとポジティブのバランスをとることを始めたばかりだった。
ここで、この「揺り戻し」について考えてみたいと思う。
振り子の原理で例えると、何らかの力で引っ張られた振り子はその力が離れた瞬間、反対側に向かって同じ力で揺り戻されるわけだ。
この振り子についている糸が20センチくらいなら、大したことはないだろう。
しかし、この糸がもし100メートル、
200メートル、
100万メートルあったとしたら。
そして、仮にこの長い長い振り子を私が1年がかりで引っ張っていたとしたら。
ブランコの揺らし過ぎ。
いや、その前に私がいた場所は反対側だった、つまり振り子は垂直ではなかったのだと考えるとしても、おそらく私は1年という時間をかけてポジティブの方向へ向かって振り子の重りを「よいしょよいしょ。」と必死で引っ張り続けてきたわけだが、いつのまにか垂直、つまりプラスでもマイナスでもない「ゼロ地点」を通り越してポジティブ方向へ行き過ぎてしまったのかもしれない。
んっ?!
ということは、もしかしたら私は振り子の重りを離したわけではなく、重りを持ったままいつの間にか反対側まで行ってしまったということも考えられなくはない。
ブランコを揺らし過ぎて「ぐるん」と回転してしまったように。
「垂直状態」は下にもあるが、上にもあったのだ。
しまった。ブランコを揺らし過ぎたか。
ネガティブ思考に「底」があるように、ポジティブにも「上限」があったということか。
もちろん、「私にとっての」だが。
*
単なる「揺り戻し」なら、しばらく待っていればまた反対側へ揺れ、放っておけば揺れは収まっていき、そのうち「普通の垂直状態」に戻るはずだが・・・
「ブランコを揺らし過ぎて回転しちゃった」とすると、ちょっと厄介である。
まぁ、とは言えじっとしていれば揺れは収まるに違いない。
私がじっとしていられればの話。
というのも、どうやら私はブランコを揺らさずにはいられない性分なのだ。
できれば、ずっと揺らしていたいのだ。
♡♪︎♡♪︎♡♪︎♡
そうだ。広い庭つきのお屋敷に引っ越したら、「アルプスの少女ハイジ」のようなブランコを作ろう。私専用の。
私はそのブランコに乗ったまま本を読んだり、紅茶を飲んだり、バナナを食べたりするのだ。
そうだ、屋根もつけよう。
そしたら、雨の日でも雪の日でも乗ることができる。
ん?待てよ。
屋根をつけたら風の抵抗でブランコが上手く揺らせないかもしれない。
かといって完全なカプセル状態にすれば、今度はあの「風を切る爽快感」が味わえなくなってしまう。
うーん、屋根の案はなしか。
*
そんなわけで、どうやら私はとにかく揺らしていたいのだ。
だから今回の揺り戻しも、言ってみれば当たり前のことである。
むしろネガティブの底から脱出するためにポジティブに向かって無我夢中で走り続けたおかげでついにその「上限」を超えたのだとしたら、この揺り戻しの後でやっと「本当のポジティブ」を味わえる時がくるのだ。
頑張らなくても。
あとは時々、「適度に」揺らしていればいい。
そして、自分が「好きで揺らしている」ということさえ忘れなければ、いつまでも人生というブランコを楽しんでいられるのだ。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
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