「不完全な自分」という幻想
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私は「完全な人間」?
私は完全な人間である、などと考えたことがかつてあっただろうか。
いや、もちろんない。
それがどうも、、完全らしいのだ。
これが?
これのどこが「完全」なんじゃい?!
と半ギレで突っ込みたくなる気持ちもよくわかる。
しかし、完全な人間なのだ。しかも、すべての人が。
うーむ、この私が「完全」なのだとしたら、確かに他の人も・・・そうだべなぁ。(←何弁?)
あなたがどれほど「完全な人間」なのかを説明しよう。
例えて言うなら「盆栽」だろう。
しかも、一鉢で何千万円もするやつだ。
まず、基本的に左右対称の盆栽などない。
360度同じように枝が伸びていたり、全体に同じように葉っぱや花がついているものなど皆無なのだ。
枝や葉っぱが不規則に伸びているのは当たり前だし、何千万円もする盆栽にいたっては枝がグネグネと捻じれていたり、鉢よりも下に伸びていたり、部分的に枯れているところさえあったりするのだ。
それが、美しいのである。「完全」なのである。
うーむ、なるほど。そう言われてみればそうかも。
もちろん、左右対称のものには左右対称の良さがあるし、「完全無欠」なるものの魅力もある。
しかし、こと人間に関しては「盆栽」なのである。
そうさなー、(←誰?)「緩急の美しさ」というのかな。
バランスと言い換えてもいい。
つまり、すべてにおいて優れている人などいないし、傍目にはそう見える人だって、何かしら苦手なことがあるものだ。
何がいいたいのか、というと・・・(それを先に言ってください。)
あなたには足りないもの、補うべきところなど一つもないのだ、ということ。
いやいや、パソコンが苦手で困ってます。
整理整頓が苦手で。人付き合いが苦手で。お金が。勉強が。料理が。ダイエットが。友達が。恋愛が。努力が。ネガティブ思考が。ポジティブ思考が。人を見る目が。
それらの「苦手なこと」「足りないもの」と思っているもののすべては、あくまでもあなたの個性であり、魅力なのだ。
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さて、ここで一つアドバイスを。
「お金が足りない」という考えはあなたの個性だから、本当に「お金が欲しい、豊かさに満たされたい」と願うなら、「お金が十分にある」という考えにすり替えればいいわけだ。
他のことも同様。
「友達がいない」という考えを「友達がたくさんいる」に、「ネガティブ思考だ」という考えを「ポジティブ思考だ」という考えにすり替えればいい。
しかしこれはあくまでも今の状況を変えたければ、の話だ。
先ほど述べたように、もしもあなたが今、何千万円もする盆栽君だとしたらどうだろう。
枝のないところに勝手に枝を「エクステ」されたり、めちゃくちゃ長く伸びてる枝をバッサリ切り落とされたりしたら。
あー!! やめてー!!
というカリスマ盆栽職人の叫びが聞こえてはこないだろうか。
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枝が一方向に長く伸びていくと、バランスが取れなくなってきます。
さて、そういう時にカリスマ盆栽職人ならどうするか。
さらに枝を伸ばしたいなら、反対方向にも枝を伸ばすか、重さのバランスを取るための支柱を設置するでしょう。
あるいは美しく見えるギリギリの長さに枝を整え続けるか。
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もうひとつの視点がある。
「足りないもの」や「苦手なもの」を克服することを楽しむ、という考え方だ。
それに取り組むこと自体があなたの課題であると言ってもいい。
つまり、結果はどうでもいいのだ。
これは「あなたの前に苦手な上司が現れた!さぁ、どうする?」という『ゲーム』なのだということ。
どのツールを使えば、あるいはどの『ワザ』を出せば苦手な上司を倒すことができるのか、もしかしたら何か秘密のワードを使うことで、「苦手な上司」が「理解のある頼もしい上司」に変わる可能性だってある。
※あくまで「上司」は例え。苦手なことや自分に足りないと思うものに置き換えてみよう。
苦手なことに取り組むことを「ゲーム」だと思えば楽しめるようになる。
ただし、決して「取り組まなければならない」と自分を追い込まないこと。
気が向かないならやらなくてもいいよー。
だって、「ゲーム」なんだから。
また寝る時間まで削ってゲームにのめり込み、体調を崩して
「なんでこんなことに・・・」と嘆き悲しむなどというのも、お門違いだ。
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そして一番重要なのが、
「勝つこと(克服すること)」が目的ではない、ということ。
それに取り組むことで得られた経験や感情、新しい発見や学びこそがあなたの「得点」なのだ。もしかしたら、それに取り組んだおかげで人生のパートナーと出会うこともできるかもしれない。
そこから始まる新たな喜びの連鎖は、無限大と言ってもいい。
つまり、あなたの「不完全さ」とは、あなたが生きることをより楽しむための大切な材料というか・・・「ネタ」なのである^^。
だから、むしろこれからはあなたの苦手なことや「ダメな部分」と思っていることを堂々とアピールしていこう。(←堂々とできる時点で「ダメ」だと思ってないんじゃ?)
まぁとにかく、ありのままで生きていけばいいのだ。
自分を大きく見せることもしない代わり、小さく見せることもしない。
恥ずかしい部分もそのまま出していく。
意外と、その「恥ずかしい部分」を人に褒められたりするものなのだ。
あなたが「恥ずかしい」と思っていたことが、もしかしたら「素晴らしい才能」として認められるかもしれない。そして、その才能が人を助けることにもなるかもしれない。
つまり、「神様からのギフト」かもしれないのだ。
そうか。だとすると、私の恥ずかしい部分は何だろう?
うーん、いっぱいあり過ぎて迷っちゃうなー。
神様、ギフト与えすぎ~。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名