長い廊下に並んでいるすべてのドアを開け続ける人生
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私の本質とは「真実の探求者」である、という。
「真実の探求者」とは、一体何をする人なのか?
言葉通りにとれば、「真実を探し求める人」である。
では、なんのために?
もちろん自分のためだ。自分の幸せのためだ。
では、自分の幸せのために「真実を探求すること」が何の役に立つのか?
真実を知らなくても、人は幸せになることはできるんじゃないのか?
むしろ真実を知ることで「えーっ!そうだったの?!」とショックを受けて、幸せ気分が一瞬にして吹き飛んでしまうことだってあるかもしれない。
しかし、私の場合はどうやら違うらしい。
なぜなら、「真実の探求者」として生まれてきたからだ(と宇宙やらハイヤーセルフやら、守護するスピリットたちから言われている)。
つまり、私の人生は「真実を探求し続けること」なのだ。
それがどうやら、「私の幸せ」らしいのだ。
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私は今まで、自分が幸せになるための答え(真実)を探しているのだと思ってきた。
それが見つかれば、『幸せ探し』である「真実の探求」も終わるのだと。
そのため私は1年ほど前から瞑想を始め、その中で様々なスピリットや大きな存在と思われる相手に対して問い続け、その時々に新しいメッセージを受け取ることで新しい気づきを得てきた。その度に「これこそが真実だ!やっと幸せになるための答えを見つけた!」と喜んできたのだ。
しかし、そろそろ1年を経る今にいたっても、驚くことに1年前と状況はあまり変わっていない。つまり、毎日が新しい気づきなのである。
答えはいずこへ? ファイナルアンサーは??
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私はこのことについて、改めて考えてみた。
というか、このことに疑問を抱くのが遅かったかもしれない。
私はお気に入りのYouTubeチャンネルのタロット動画で時々見かける、あるカードの絵柄を思い出していた。
長い廊下があり、その両側にはたくさんのドアが並んでいる。ドアは床にも天井にもある。
このカードの意味としては「あらゆるところに可能性があることに気づいてください」というメッセージなのだが・・・。
私はもしかしたら「真実の探求者」として、これらのドアすべてを開けて中を確認しなければ気が済まないのではないか?
それが、「真実の探求者」としての人生なのではないか?という新たな疑問が湧いてきた。
つまり、1年前に私が気づいた真実も真実であり、今朝気づいたこともまた真実なのだ。
このドアが並んでいる廊下は果たしてどこまで続いているのか、あるいはこの廊下のある建物が何階まであるのかはわからないが、私が今朝「大いなる宇宙である自分」に聞いてみたところ、
私の「真実の探求」はどうやら、この命ある限り続くらしいのだ。
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このドアの中にあるものは時々似たものもあるのだが、それぞれが微妙に違っている。
また時には、以前に見つけた「真実」とはまったく逆のことを言っていることもある。
しかし、すべてが「真実」であることに変わりはないのだ。
私は初め、どこかにゴールがあって、そこに向かって歩き続けているのだと思っていた。
富士山の頂上を目指すような感覚だ。
頂上に到達すれば、この探求の旅も終わるのだ、と。
だから毎日の瞑想で受け取るメッセージ(新しい気づき)によって前に進んでいるのだと思っていたのだ。
しかし、私が真実を探求している目的は「幸せになる方法を見つけること」であると同時に、「真実を探求すること」それ自体が私の喜び、つまり幸せなのではないかということに気づいた。
だからこうして、毎日毎日新しい気づきがあるのだ。
ということはつまり、宇宙が私に「新しい気づき」、すなわち「幸せ」を提供し続けてくれていることになる。
たくさんのドアが並んだ廊下を用意してくれていたのは宇宙、つまり「大いなる宇宙である自分」だったのだ。
さすが、宇宙。さすが、自分。
「真実の探求者」とは、また「探検家」でもある。
誰も行かないような山奥やジャングル、洞窟など、危険が潜んでいるかもしれない場所にわざわざ入っていくのだ。それがまた、楽しいのだ。
それはある意味、RPGみたいなもの。
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探検の途中で協力してくれる仲間と知り合ったり、美味しい食べものでパワーをチャージしたり、すごいツールを手に入れたり、なんのポイントにもならないような遊びを飽きるまで続けたりするのだ。時には美しいお姫様を助けることもある。そして、「ゴール」にたどり着いたら、次のステージに進むことができるのだ。
何のために?
答えはいたって簡単である。『楽しいから。』
結局、そういうことなのだ。
RPGであんまり簡単にゴールにたどり着いてしまってはつまらないので、
色んな仕掛けが用意してある。
しかも、簡単には思いつかないような意外なことが仕掛けてあったほうが面白い。
誰でも予想のつくような仕掛けでは攻略する意味がないわけだ。
今や、RPGのストーリーも壮大な映画並みになっているらしいではないか。
さて、ここで私はまた新しいことに気づいた。
私はもしかして・・・
すべての「パラレルワールド」を試そうとしているのではないか?
赤い靴を選んだ場合に待っている世界と白い靴を選んだ場合に待っている世界。
いつものスーパーで買い物した場合に待っているストーリーと、初めて行く店で待ち受けているストーリー。
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「パラレルワールド」についても、瞑想の中でずいぶん深く探求してみたことがある。
以下は私が瞑想を通じて得た、パラレルワールドに関する知識である。
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パラレルワールドはそれぞれが独立した世界であり、交わることはない。しかし、異なるパラレルワールド間を移動することは非常に簡単でありながらも、意識的に行うことはできない。また、一つのパラレルワールドにしばらく居続けることもあれば、1日のうちにいくつものパラレルワールドを移動することもある。
また、パラレルワールドに「良い」「悪い」はない。
ただ、「波動の高いパラレルワールド」と「波動の低いパラレルワールド」がある。
だから、自分が「波動の低い状態」にある時には自動的に「波動の低いパラレルワールド」にいるわけだ。
「良い」「悪い」ではないので「波動の低い状態」を嘆く必要もないのだが、波動が低い状態は「心地よい状態ではない」ことが多いので、やはり「高い波動」に移動したいと思うのが常である。
私はある時、恐らく波動の低い状態にある時に「波動の高いパラレルワールドに移動する方法はないか」、とハイヤーセルフに聞いてみた。すると、
「水と塩」という答えが返ってきたのだ。
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水も塩も、地球にある最も大切な要素と言える。これによってエネルギーを調整できるということか。具体的には、「水と塩」で自分の身体に溜まっている低いエネルギーを洗い流すというわけだ。
「確かに、体はきれいになるかもしれないけど、心まできれいになるのか?」などという疑いの念を抱く人はもともと「波動の高低」など気にしていないであろうから、そういう人には関係ない。
まぁ、とにかく試してみるしかない。というか、飲んだり浴びたりと既に試してはいる。
即効性があるのかどうかなどはまだはっきりわからないが、人に説明できるようになるにはもう少し続けてみる必要があるだろう。
といったわけで、毎日私はいろんな角度から真実を探求し続けているわけだ。
なぜかって?
それはもちろん、楽しいからに決まっている。
自分が、ね。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
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