「スター☆トゥインクルプリキュア」感想
プリキュアシリーズ16作目「スター☆トゥインクルプリキュア」。モチーフは「宇宙」と「星座」。舞台を「宇宙」として描かれた本作品は49話中、20話以上が宇宙での話(もちろん地球での話もありますが)。リアル宇宙ではなく、星空界というファンシーな世界観が舞台ではありますが、戦う場所が違う、登場人物も増やせると、バリエーション豊かにストーリーを展開していきます。
個人的に変身シーンはシリーズ随一。2022現在、シリーズで唯一“歌いながら”プリキュアに変身する。いや、変身と歌がこんなにも相性が良いだなんて思いもしませんでした。視覚と音の相乗効果も凄いのですが、これが終盤の演出にも効いてくる……これのためだけでも観る価値はあったと思えました。
敵幹部の戦い方も全員違うというのが面白い。アイワーンは巨大な機械(ノットリガー)、テンジョウは巨大な人型(ノットレイダー)、カッパードは様々な武器がメインと、戦闘シーンでも工夫が入っています。視覚的な効果も加わっていて、飽きさせない工夫があるのだと思いました(が、ガルオウガさん?わ、ワープ…?)。
前述の歌もそうですが、トゥインクルイマジネーション、星空界、スタープリンセス、必殺技で「想いを重ねる」など、随所に散りばめられたキーワード。これらを終盤に繋げて来つつ、各プリキュアの内面をこれでもかと描く。全体的に丁寧に作られた作品という印象でした。特に終盤のパワーアップに繋がるトゥインクルイマジネーション。これは主要5人の成長を描くにおいて重要なワードになっていましたね。
トゥインクルイマジネーションとは何だったのか?
「新たな宇宙を知り、己のイマジネーションの輝きを探してください」
(───おうし座のプリンセス 39話より)
最初のトゥインクルイマジネーションが発現した直後、おうし座のプリンセスは上記のように言及している。これは主要5人のお当番回を見ていると概ね正しいと思います。
35話でひかるがトゥインクルイマジネーションに発言し損ねたのを覚えているでしょうか?
生徒会長選挙。ひかるは選挙に挑むに辺り、まどかの真似事をする。ひかる自身の良さは出さず、まどかの良さを表面的になぞるだけ。つまり、ひかるが自分らしさを見失う話です。35話の終盤、彼女はそれが間違いであること、そして自分らしさの大切さに気付き、トゥインクルイマジネーションは発現しそうになる。ですが、彼女はこの段階でトゥインクルイマジネーションの完全な発現には至らない。以前の彼女に戻っただけで新たな宇宙を知ることは出来ていない。足りないのだと言えます。
「みんなのおかげで、心の中の宇宙が無限に広がっていくルン」(───羽衣ララ 25話より)
この作品における宇宙とは、名の通りの宇宙だけではなく、彼女たちの内面も表す。自分らしさへの気付き。彼女らの内面へと向かう。これまでの世界から、自分の宇宙を広げる。見方を変えることで。つまりトゥインクルイマジネーションとは、彼女たちが自己への新しい視点に気付き、一歩先へ進むこと。
そしてそれは自身の視点だけでは到達できないとしている。
この作品の見事さは、この彼女たちの内面世界……彼女たちのこれまでの視点に大きく影響を与えてきた家族・故郷の部分を色濃く描き、そこに新しい視点として友人関係、それだけに留まらず敵も含めて描いた点にあると思います。
本作品は家族関係が強く描かれる。
各キャラクターの夢、自分らしさの部分に家族・故郷が密接に関わってくる。そもそもプリキュアになるキャラクター全員、普通って言える家族構成はありましたか?なかったはずです。
ひかるは父親とは離れ離れで年に一度しか会えない。まどかは厳格すぎる父親と家柄による責任と重圧。えれなは家族を変わっていると言われ。ララはサマーン星人の中でも優秀な家族、それに対してララは劣等感を抱いている。ユニは故郷である惑星レインボーはアイワーンによって全員石にされてしまっている。
トゥインクルイマジネーションが自分の新しい側面を知る、だとしたら、これまでの彼女たちの世界をしっかりと描かなければならない。特殊な家族像。それが彼女たちのこれまでの視点に大きく影響を与えている。そしてこの家族像は、単なる正の部分のみが描かれるわけではない。彼女たちを縛る物としても描かれている。
「僕はランク1ルン。だから下のララを助けてあげる責任があるルン」
「ララにはララに合った仕事があるルン。大変な仕事は僕らに任せるルン」(───ロロ 29話より)
ララの故郷、サマーン星では生まれながらにして、人それぞれ性格や能力特性から適正な職業を決められてしまう。
「わからないことは全部AIがおしえてくれるルン」(───羽衣ララ 13話より)
13歳で大人として扱われるサマーン星。ララの職業も決められている。29話ではAIに決められることに不満を持っていることが明かされる。それなのに序盤では、AIに頼りきりの態度。彼女の中でもそれは常識となっている。不満がありながらもそれを受け入れてしまっている。彼女は家族やサマーンの皆に……他者に認めて貰いたいがために大人だと自分に言い聞かせ続けて。それが縛りとなっている。
「あの笑顔は本当の笑顔じゃない。心からの笑顔を見せてくれない」(───天宮かえで 42話より)
えれなは子供の頃から周囲の目を気にする。弟のトウマの言動からわかるように、家族が他とは違うことや、幼少期に周囲の友人と外見が異なることから、周囲の視線に怯え、笑顔を失う。ただ、家族の笑顔に救われ、笑顔が彼女の心の支えとなる。だが、周囲の目を気にし過ぎた結果、
「私も作ったんだ、笑顔を」(───天宮えれな 43話より)
無意識のうちに彼女は自分の笑顔よりも他人の笑顔を優先するようになっていた。さらにそれは彼女の進路においては自分を縛ること。家族が大切すぎるが故に、家族の心配をし過ぎて、本当に憧れた夢へは迎えなくなっている。憧れを捨てる。ずっと昔から憧れていた母親と同じ職業に進むことへの障害に。
「香久矢のためにずっとそうしてきた。全て私に任せれば良い」(───香久矢冬貴 41話より)
序盤のまどかの言動は全て義務感にもとづく発言になっている。生徒会長としての義務感、香久矢家の娘としての義務感。行動原理が全てここに集約されている。
「お父様は、上に立つために、人々の気持ちを知るようにとおっしゃいました。知ったから、私は、フワを、皆様を、放ってはおけません!」(───香久矢まどか 5話より)
序盤のまどかは自身で考えてはいるし決断も出来るが、父親の発現を根拠にしてしか決断できない。「先輩はどう思っているんですか?」と5話でひかるに問われたことへの回答は確かに自分の意思もあっただろう。ただ、父親の発現に頼っているのが見えてしまう。まどかは厳格すぎる父親に将来の道を決められているし、まどかは序盤ではそれに一切の疑問を持てなかった。
「私とあなたは同じよ。あなたがふわを救いたいように、この星のみんなを救いたいの」(───ユニ 20話より)
ユニは、怪盗、アイドル、敵幹部の腹心と様々な顔を持つ。惑星レインボーの復興。家族ともいえる存在を全てアイワーンに石とされてしまった彼女。故郷を元に戻すため。それだけが当初の彼女の行動原理。
「コロコロ変わりやがって、お前はそうやって姿を変えて、皆を騙してんだっつーの!」(───アイワーン 27話より)
彼女は自分の変身した姿はそんなに好いていない(27話で肯定されはしますが)。本来の自分の姿の方が好き。それでも故郷のためならと、そんな偽りの姿を続けて来た。視覚的な意味でも最も自己を偽るキャラクターとして。それはある種、一番過去(故郷)に縛られたキャラクターだったと言えます。
各々、家族・故郷に縛られている姿が描かれる。そんな彼女たちが各自、別の視点での気付きを得ることで自身の可能性を広げていく。
そして、その気付き……きっかけは誰から?
「私がプリキュアになった時、フワをまもりたい、その一心でした。後先考えず思ったことに素直に。自分の直感に初めて従いました。その直感は」(───香久矢まどか)
「ひかる……」(───羽衣ララ)
「ひかるのことばをお借りすれば、ララは、どうおもっているんですか?」(───香久矢まどか)
(────30話より)
家族・故郷をある種の縛りとして考えた時、例外なのはひかる。彼女の家族はそこに当てはまらない。
そもそもひかるが夢を追うに際し、彼女を縛るモノは過去のモノとして描かれる。それは幼少期に遡る。過去に過ぎ去ったモノ。そしてそれを助けたのは他ならぬひかるの母親、星奈輝美の夢(=漫画)。輝美は現在進行形で漫画家という夢を目指している。ひかるの大好きの立脚点ともなった人物として描かれます。
「そりゃ行ってみたいけど、今は無理だよ。ひかるは学校があるし、父さんは仕事があるからね」(───星奈陽一 22話より)
夢を追うことを描いているのはひかるの母親だけではありません。父親も。彼は大学の先生でしたが、今ではUMAを調査するため、世界中を飛び回っている。UMAを研究して本にすることが彼の夢。夢は大きければ大きい程、困難な道となる。夢が故に孤独になることも。家族と離れ離れになるリスクを負ったのがひかるの父。ひかるの祖父春吉との仲が険悪気味になった程度で済んでいますが、先生という安定した職業から、夢を追えている今に至るまで、その決断は中々難しかったのだと思います。
ひかるの両親。母親は夢への立脚点の振り返り。父親は夢を追うことへのリスク。二人とも夢を目指すことへの大切な部分を描いています。
ひかるの両親だけはひかるが夢に向かうに際し、全くの障害になっていない。それどころか、ひかるが真っ直ぐ進むための規範となる存在です。ひかるだけは両親二人の話を入れた意味もわかります。二人とも、ひかるを縛らない性格ですし、ひかるの両親は夢追い人として描かれるからです。
ひかるはそういった意味で“精神的に最も健康”で、“チームの中心”で、“夢に真っ直ぐ向かえる”……曰く“彼女たちの運命の星”として描かれました(38話でハッケニャーンは運命の星をユニの、としましたが恐らくララ、えれな、まどかにとっても、だと思います)。この物語は、そんなひかるの視点が彼女たち4人の人生に大きく影響を与えて見せたのです。
そしてそれを補強するために敵を配置する。
21話でもそうですが、レインボーパヒュームを直接アイワーンに叩き込んだ際、歪んだイマジネーションだけは浄化できる。しかし、敵幹部の改心自体には至らない。必殺技が本人の心を変えるわけではない。その部分だけに関して言えば、浄化の力だけでは解決にはならない。あくまでも言葉による説得、もしくは説得力のある行動、このどちらかもしくは両方が敵幹部の改心に必須になっている。
各プリキュアが縛られていたモノと同じ。主要5人が乗り超えた過去として描かれるのが敵キャラクターとなる。カッパード、テンジョウ、アイワーン、ガルオウガ、蛇つかい座のプリンセス。全て各プリキュアの序盤の行動原理と似ている。トゥインクルイマジネーション発現前の気付きを得る前、各々の課題を乗り越える前の姿として描かれる。
最もわかりやすいのはまどかでしょうか。対比されるのはガルオウガ。
「心の乱れをお父様に気づかれてはいけない。プリキュアを続けるために全てを完璧に、完璧に……」(───香久矢まどか 9話)
序盤のまどかは家柄に縛られ、自分の意思がない。ガルオウガもその点では同じ。彼はダークネストに全てを捧げる覚悟で動いている。背負っているものは違うとはいえ、行動原理は似ている。
そんなまどかとガルオウガ、決定的に違った点は、何かのために“自分を捨てられる”かどうかの部分。
ガルオウガはまどかに覚悟が足りないと言う。星を失う、全てを捨てる、その覚悟はあるのか?と以前のまどかであれば、自己を捨てていただろう。
「私に足りなかったのは…楽しむ心」(───香久矢まどか 24話)
物語序盤のまどかは義務感が最優先になっていて、「楽しむ」ということを忘れている。ひかるからの直感的な視点もそうですが、例えば9話でのひかるとララ、24話ではユニから、まどかは「楽しむ」ことを彼女たちから与えられる。
「わからないからこそ、自分で見つけたいのです。これも、お父様のおかげです。」(───香久矢まどか 41話より)
ひかるたちとの交流があったからこそ、ここへの結論に至れる。父から今まで教えてもらったことを否定しているわけではない。ひかるたちと出会う前までの父との信頼は本当。自己を捨てず、以前までの自分を踏まえ、新しい視点を得て前へ進む。それに気づくことでトゥインクルイマジネーションは発現し、さらに“自己を捨てる”ガルオウガ(過去の自分と似た存在)を凌駕できる。
「笑顔は仮面、笑顔の裏にこそ真実がある」(───テンジョウ 42話より)
えれなとの対比はテンジョウ。テンジョウは故郷の星で容姿を理由に見下されていた。優しい笑顔を見せた大人たちも、笑顔という仮面の下ではテンジョウを憐れんでいた。そんな存在として扱われていた過去を持ち、故郷から追い出された存在。それがテンジョウ。
えれなも過去に周囲の目を気にした点は同じ。異なるのはえれなには、救ってくれた存在が居たこと…家族。家族に影響を受け、えれなは自身の笑顔で周囲に馴染めた。
「ママが言っていたように自分が本当の笑顔かなんて考えたことなかった」(───天宮えれな 42話)
「私は人の笑顔のために自分を犠牲にしているんじゃない!あなたのおかげで気づけた」(───天宮えれな 43話より)
ただ、えれなは自身の笑顔はどうか?その視点が欠けていた。えれなの新しい視点は、周囲を笑顔にすることが自身に帰ってくることに気付く。自分を犠牲にしているのではないと、皆を笑顔にしたい。この行動自体は変わらない。その気付きで思い出す笑顔は、家族だけではない。友人たちも加わる。
「だって、あのスピーチができたのはあなたのアドバイスのおかげだから」(───天宮えれな 39話より)
えれなは愚直なまでに他人を信じる性格として描かれました。例えば39話。英語のスピーチで、テンジョウが教師になりすまし、えれなのスピーチに悪意のある添削をした回。えれなはそれを悪意ではなく、善意として捉え、有効なアドバイスとしてスピーチを練り上げる。だからこそ、そんな彼女が同じ境遇のテンジョウに自分を重ね、えれなと相対し、えれなを見て来たテンジョウにはえれなの言葉が届く。そして、テンジョウはえれなを信じてみようと思う。
「今に……裏切られるぞ……」(───カッパード 37話より)
ララとの対比はカッパード(正確にはひかるも含まれますが)。カッパードは故郷の星を異星人に侵略された過去を持つ。善意を利用され、自らの星の資源を全て奪われた過去。だから、彼は他の星を信じられない。
「AIのおかげで失敗しなくてほっとしてる」(───羽衣ララ13話より)
この点で序盤のララだって彼と同じ。初めての地球の学校。地球人と交流するに際して、素の自分を出すことに怯え、AIに頼り切ってしまう。それは2年3組の皆を信じてはいないということ。
「ありのままの私を、サマーン星人の私、地球人の私。私は、私のままで居て良いんだって、認めてくれたルン」(───羽衣ララ 40話より)
そんなララが地球での交流を経ることで、AIに頼り切るのではなく、素の自分でクラスメイトに認めて貰えるまでを描く。
「楽しそうだったルン。私も皆と楽しくなりたかった…ルン」(───羽衣ララ 13話より)
「ララ、私ね、ララのこと、学校で友達って紹介できるの楽しみだったんだ。この学校でララと一緒にこれからいろんなことをするのが、楽しみなんだよ!」(───星奈ひかる 13話より)
他者に認められたいがためにサマーン星でも本心を隠してきたララが、ひかるによって、その本心を吐露できる。それがララのトゥインクルイマジネーションに繋がっていく。
40話でクラスメイトからララが異星人では?という疑念で、彼女はクラスから孤立する。その疑念はクラスメイトの歪んだイマジネーションを形作る。しかし、ララがこれまで得た信頼と、彼女の行動によって彼らの歪んだイマジネーション…疑念が消える。
歪んだイマジネーションを感じ取れるカッパードは、ララとクラスメイトの信頼関係を、実感を持って知ることになっただろう。そんな他の星と交流する……ひかるとララの行動を以て交流は可能だと証明してきたからこそ、他の星への疑惑を抱いていたカッパードが、ひかるに差し伸べられた手を取ろうとするまでになる。
「お前が居場所をうばったんだっつーの!」(───アイワーン 38話より)
ユニとの対比はアイワーン。二人とも拠り所を失ったという点。そしてそれをお互いに奪い合った関係という点では同じ。アイワーンはユニの忌まわしき過去の象徴として描かれる。ユニはアイワーンを憎む。それは彼女が過去に縛られていることに他ならない。
ユニの重要なシーンは全てひかるからの言動から影響を受けている。例えば27話でのユニが変化(へんげ)で自分を偽っていることへの悩み、ひかるからの姿が変わっていても想いは変わらない…そんな肯定。そしてキュアコスモへの変身も。
「あなたには関係ない、何も知らない他人でしょ!?」(───ユニ)
「知らないからもっと知りたい。だってさ、キラやばーだよ。何でも好きな姿になれるなんて。だからわたしは守りたい」(───星奈ひかる)
(───20話)
ユニのトゥインクルイマジネーション発現前に挿入されるのもキュアスターとのシーン。初変身時にユニはフワを攫い、ひかるたちと敵対行動を取った、それなのにひかるたちは彼女を救おうとする。そこでユニが思い出すのは、ひかるの原動力が「他者を知りたい」だったこと。
「過去だけを見るんじゃなくて、前に進んでいきたい。あなたと一緒に。自分だけじゃなくて、あたしはみんなと一緒に未来に行きたい!」(───ユニ 38話より)
ユニはアイワーンを「許す」。彼女はアイワーンへ、自身と同じ苦しみを与えてきたことに気付く。ここに気付けたのはこれまで影響されて来たひかるの視点を切っ掛けにして。アイワーンを「許す」こと、それはユニがアイワーン…忌まわしき過去…にばかり囚われていたことから、それがユニのトゥインクルイマジネーションを発現させる。視点が変わる。未来に目を向けられるようになる。ユニは故郷の復興に結局プリンセスの力には頼らない。過去に囚われていた彼女が、アイワーン…これまで忌まわしき過去として捉えていた存在…と共に惑星レインボーの未来を目指す。
まどか、えれな、ララ、ユニ……4人とも、ララの言う内面の宇宙を広げて行けたのは、ひかるからの新しい視点が切っ掛けになったことは確か。だが、それはあくまで切っ掛けに過ぎず、全て自力での解決を促している。ここに奇跡の力などはなく、そういった意味では本当の人間としての成長物語だと思います。
見方を変えれば世界は変わる。
そして新しい視点を加えられるのは何も彼女たちだけではありません。受け手たる私たちにも新しい視点を加えてくる。この作品の終盤で、印象が変わった部分は多いはずです。例えばノットレイ。ノットレイは46話までは、スーツに身を包んでおり、無機質で無個性な敵キャラクターとして描かれました。しかし、47話。彼らは味方としてスーツを脱いだ姿を見せる。ここで中身がわかり、一気に個性が出てくる。敵であったときはあんなに無個性、無機質で不気味。それが味方として同じ方向を向いた時、そのスーツの中身が分かった時、気のよさそうな異星人の姿とわかる。たったワンシーンでその不気味さが払しょくされるのです。
そもそもこの作品に置いて“敵”“味方”という概念は揺らいでいく。最後はかつての“敵”と共闘する展開を見せる。互いの利害が一致しないからの敵であって、お互いに善悪はなかったのかもしれない。全員、あくまで己の正義のために力を揮ってきた。最後に戦ったラスボスたる蛇つかい座のプリンセスですら、彼女なりの正義があった。
逆に味方側だって、その例外ではない。ひかるたちが信頼を置いていた12星座のスタープリンセスたちだって、「利害関係の完全な一致」を味方と語るのであれば、正直言って完全な味方だったわけではない。彼女たちは有無を言わさずにフワに成長を促すシーンから始まり、使命に準じている様が描かれる(彼女たちは人間ではないので、その使命感がどれほどのものだったのか、その辺りは読み取れませんが)。
それが最も露出したのが47、48話でしょうか。
蛇つかい座のプリンセス「奴らがお前たちを動かしていたのは我を消すため!」「その力を使えば器はパレスに戻る」(───蛇つかい座 47話)
12星座のプリンセスたちは、儀式が蛇つかい座のプリンセスとフワ(=器)の消滅を意味することをプリキュアには黙っていた。土壇場でそれを知ったひかるたちは迷い、フワは単独で儀式を行い……蛇つかい座のプリンセスに挑み、そして儀式は失敗する。
「お前たちのイマジネーションが仇となったようだな。器を消したくない、大いなる力、その完成を邪魔したのだよ」(───蛇つかい座 48話)
「想いを、重ねきれなかった…」(───おうし座のプリンセス 48話)
これは推測ですが、おうし座のプリンセスは、儀式でフワが消滅となることをプリキュアに知らせなかったのは、こうなることを恐れていたのではないでしょうか?ひかるたちはフワの消滅と蛇つかい座のプリンセスの打倒を天秤に掛けることが出来ないのではと。その情報があった場合、想いを重ねきれないと判断したとも取れる。つまり、人を……プリキュアを信じ切れていない。それが創造主のイマジネーションの限界がうっかり露わになったシーンとも言えるでしょう。
物事にはあらゆる側面がある。それはこの作品が描き続けてきたこと。それを表現するために敵側だけではなく、あえて完全な味方と思わせていた12星座のスタープリンセスにまで、その視点を入れてくる。ラスボスとして、13番目のスタープリンセスを入れてくるのもその一環であり、その徹底ぶりたるや。
「不完全なイマジネーションなどいらぬ。我の宇宙こそが美しい、我の宇宙こそが完全なのだ」(───蛇つかい座のプリンセス 48話)
そしてその蛇つかい座のプリンセスとの対比はひかる。ラスボスたる蛇つかい座のプリンセス。13番目のスタープリンセス。彼女は孤独の象徴として描かれている。蛇つかい座は他の12星座のスタープリンセスとは主張が合わずに、孤立している。
「私さ、いつも自分が楽しければ一人でも平気だった。他人は他人、自分は自分ってかんじだったもんね。ララたちが、みんなが、とっても気になるの。自分だけ進んでいない取り残されているって思ったの」(───星奈ひかる 45話より)
孤独……この点で物語開始時点でのひかるは蛇つかい座と同じ。ひかるは孤独だった。いや、独りを寂しいと感じていたのではなく、当初、独りでも良いと思っていた(イマジネーションという意味でも、ひかるは物語開始時点で、12星座ではなく新しい星座を創造し、フワを呼びよせる……一人でも凄まじいイマジネーションを持っている)。それが友人たちとの交流で変わる。ひかるは他者への興味を持っていく。
そんなひかるが蛇つかい座のプリンセスに説いたのは、独りでもイマジネーションは培える、でも他者との関わりも面白い、と。それはこの作品が長きにわたって描き続けてきたこと。“周囲に気付きを与え続けて来た”ひかるが、“友人たちからも気付きを得て”いる。45話で発現した彼女のトゥインクルイマジネーションもそうだ。「他者を知りたい」。これは物語開始時点でのひかるには無い発想。
「イマジネーションはさ、消すよりも、星みたく、たっくさん輝いていた方がキラやばーだよ」(───星奈ひかる 48話)
だから、蛇つかい座に対して、この台詞が云える。敵味方全員とイマジネーションを培ってきた“これまで”を根拠とする。プリンセスから与えられてきた力はあくまで切っ掛けに過ぎず、これまで培ってきた自らのイマジネーション、自分の力で。ずっと描き続けてきたことが実を結ぶ。この最終決戦のカタルシスは、かなり高い。
「『地球は楽しかった?』
そう訊いたひかるに、今度はあなたが、あなたの言葉で答えてほしい」
(───映画スター☆トゥインクルプリキュア ブルーレイ特典ブックレットコメント一部抜粋 監督/田中裕太氏より)
受け手への無限のイメージ……本作は見方を変えれば世界は変わる。それを新しい視点を得ることで成長した彼女たちの姿を通し、作品自体が体現する(だからこそ、あの最後にひかるが見た「キラやば」な光景を“あえて”描かずに我々のイマジネーションに訴えかける演出が心を揺さぶるのだと思います)。
イマジネーション。その切っ掛けとなる新しい視点。それは登場人物だけではなく我々も含めて描かれる。そしてそれを表面的に描くのではなく、最期まで全員(家族、敵キャラクターまでを含めて)の関係をしっかりと。その丁寧さ。だから、この作品は、
ただ、ひたすらに真っ直ぐ進むひかると、それに影響された4人の少女が「自分らしさ」を見出していく様が際立つ。
SF設定は幾らでも肥大化させることはできる。しかし、それを畳めなければ意味がない。この作品の世界観はあくまでも彼女たちの内面を掘り下げるためにあり、設定を使い切るがごとき細やかさを誇る。成長を、彼女たちの世界を広げる……宇宙へ飛び出すのもそれを表現するためだとすら思えてきます。
世界観は、敵は、設定は、ヒロインの成長を際立たせるためにある。
……良いね、と思う。愛すべきキャラクターを前面に押し出す。その成長に至るまでの過程を丁寧に、本当に丁寧に描いただけ。それが物語に一貫性を与え、美しさすら感じる。
本作はその真っ直ぐな美しさを愛でる物語と言って良い。