仕事で受けた傷は、仕事で癒す
こんにちは!
訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです!
久しぶりに前髪を作りました。
そんな私の左足第三趾はぶんず色です。(しもやけ)
ぶんず色って、ふくしまの方言で、くすんだ紫色のことだそうです。(Googleより)
足指の色の変化で、季節を感じています。毎日寒いですね。
私は今日、なんだか泣きたい気分でした。
朝から吹雪だったからなのか、1日空がどんよりしていて寒かったからなのか、生理周期のためなのか、仕事が山積みだからなのか。
昼にぶつけた怒りが自分に返ってきたからなのか、いわゆるクレーム対応をしたからなのか、はたまた訪問看護指示書依頼という厄介な仕事を終わらせた後だからなのか…
どうしたら元気が出るんだろう…と考えると、なんだか悲しくなって泣きたくなるのです。
こうして文章をキーボードでパチパチしてたらまた悲しくなってきた。
こんな時は、ビールでも飲んで、元気なふりをするのが1番である。
言葉や文章で私にいつも元気を与えてくれる糸井重里さんも言ってた。
『元気じゃないときも、元気でいると、元気になったりする。』
これはたしかに効果的だと思います。
選択理論心理学に触れている私。
全行動の「思考」と「行動」を変化させることで、「感情」と「生理反応」を調整したいのです。
でも、そうもいかない時って、あるよなァ。
私は訪問看護が好きです。
訪問看護の魅力はたくさんあるのですが、私が訪問看護をしている1番の理由は、
訪問看護をしている時の自分が、1番自分らしいと思えるから。なのだと思います。
「自分らしさを大切にする」
私の美学の一つなんです。
must理論って知ってますか?
ちゃんと学んだわけではないですが、私の理解では、
自分がやらなければならないこと(must)と、できること(can)と、やりたいこと(will)を円の大きさで表した時、その重なりが大きければ大きいほど人は幸せである、という理論です。
この理論で考えると、自分たちが持っている資格を活かして会社を立ち上げた今、私は限りなく幸せであると言えると思います。
でも、楽しいことばかりではないのもまた現実。
長く訪問看護に従事していれば、辛い現場に立ち会うこともある。
好きなことを仕事にしたとは言え、社会やスタッフや関係者に対する責任は重大。
守りたい人がたくさんいる。
スタッフには毎日楽しく仕事をしてほしい。
利用者さんには笑顔でいてほしい。
信用される会社でありたい。
でもそれが叶わないこともあるわけです。
無力感に襲われて、なんとも情けなく、悲しくなることもあるのです。
それでも私は知っている。
この痛みを乗り越えた先に見える世界があることを。
そして、この痛みは、仕事をすることでしか、たぶん癒せないということを。
傷つかないってことは、挑戦してないってこと。誰かが言ってた。
(傷つくことが良いとか悪いとかの話ではないです。)
心に得た傷も、体に負った傷と同じなんじゃないかなと思います。
褥瘡(床ずれ)の治癒過程に似ている。
発見した時は熱を持っていて、ぼんやり赤い。
受けた傷の深さや範囲はまだはっきりとわからない。
やがて傷ついた皮膚が破けて、一旦はすごく悪くなったように見える。
それを持ち堪えてある程度時間が経つと、傷と傷じゃないところの境界がはっきりしてくる。
そうしたら、本格的に傷に合わせた手当てを始める。
ちゃんと手当てをされた傷はちゃんと回復して、新しい皮膚で覆われる。
もちろん、傷を負う前と全く同じ皮膚ではないよ。
でもその傷あとは、頑張った証として残る。
いつか自分を励ましてくれる。
帝王切開の傷を子供がそっと撫でてくれるみたいに。
そして同じような傷を見た時に、「知ってるよ」と、慌てずに対応することができる。
心に受けた傷も、そんなふうに思えたらいいな、と願います。
訪問看護をしていると、「待つ」とか、「保留する」という判断をすることが多々あります。
暮らしやいのちを守るって、そう簡単に結論が出せるものではないし、白黒はっきりさせることが、必ずしも貢献することにつながらないことがあると思うんです。
その瞬間には伝わっていないように感じた言葉が、数ヶ月かけてじわじわ効いてくる…なーんてこともある。
何気なくかわしていた日常的な言葉が、グリーフになったりする。
専門的な知識や技術を資格として持ち合わせている私たちにとって、結論や具体的な方法を示さずに曖昧で宙ぶらりんな状態にしておくって、あまり慣れない。
でもそれを自覚した上で相手を信じて回復を待つ。
知らん顔していつも通り過ごしてほうっておく。
これはこれで、立派な支援の形なのだと思います。
いつかのnoteでも書いたけど、私は、どんなに笑えない日でも、訪問看護をしているといつの間にか笑顔になっている自分に気がつきます。
勘が鋭い利用者さんには、疲れや悲しみがバレることもあるけれど。(隠しきれてない)
それでも真剣に看護をしていると、暮らしがきらめき、いのちが輝く瞬間に立ち会うことがある。
これってまさにギフトです。
ケアしているようで、ケアされているし、
支えているようで、支えられているのです。
もうこれは、そういう流れでできているのではないか。(スピリチュアルじゃないよ)
目の前にいる人や大切な人にできる範囲で優しくして、自分も自然体でいられたら、きっとその恩恵を受けることができるのだと思います。
これを読んでいるあなたが今、たまたまどうしようもない苦しみを抱えているとしたら。
大丈夫。
きっといつか、また笑える日が来る。
朝顔は夜の暗さや冷たい空気に触れなければ、花を咲かすことができないんですって!(人間学を学ぶ雑誌の代表、致知に書いてあったから本当です)
いやいや花を咲かすことばかりが人生じゃないヨ、なーんてツレないこと言わないで、気長に花が咲く日を待ちましょう。
私もそうしますから。
そろそろ寒くなってきたぞ。
今月のnoteはこのくらいにして休もうと思います。
最後に、これまた尊敬する梅田さんの本から…
訪問看護に没頭している私としては目指したい境地であり、フルフルするほど感動した文章なんです。
今日はいろんなことをやめたい気持ちになってしまったけど、
でも、明日になったらまた笑って看護をしてると思うな。
自分に当たり前のように明日が来ることを信じられること自体、素晴らしいことだ!
今日も頑張るあなたと私に幸あれ〜!