一万回でも一億回でも愛していると言い続ける
タイトル通りの話。先日書いた記事のコメントに、「君が好きだと叫びーたい♪」という曲を思い出しました、といただき、それ以来、頭の中でずーーっとアニメ・スラムダンクの曲であったこの曲がぐるぐる回っている、三井君派の私ですけれど。久しぶりな感じのする夫アルゴとの話。
我が家は口癖のようにLove you, I love youという言葉を口にする。電話の後も、いってきます・おやすみなさいにもLove You。なんなら、階下から二階へとむけて、Love Yoooouという事もしょっちゅう。『けっ、アメリカナイズしやがって』と自分でも思うが、これにはちょっと理由がある。
今でこそ、このようにあけすけに、なんでもかんでも、じゃんじゃん書いたり、口にする私であるが、夫アルゴに出会う前は、自分の素直に思ったこと、感じたこと、考えていること、感情を口にするのが苦手だったし、避けていた。
むしろ、感情をあらわにすることは、恥ずかしいことであると躾けられ、そのように育ってきたので、うれしい時に笑う、悲しい時に泣く、怒った時に……怒った時はなんだ?叫ぶ?……ともあれ、相当に仲良くなった人でなければ、あまりしゃべらなかったし、とっつきにくい感じの嫌なガキであった。
寡黙、クールと言えばかっこいいのだけど、要は人に判断されるのが怖い、自分の感情を判断されるが怖い、というだけのことで。いわゆる、陰キャ。いわゆる、拗らせた中2病の人だったのである。口にする、表に出す代わりにめっちゃ心の中で毒づいてたり、独り言を言う。今もその傾向は濃厚であるが。
夫アルゴに会う前だってそれなりに恋愛はしてきたけれど、「好き」と告白したこともなければ、「好き」という言葉を口にすることもなかった。そもそも若人時代の私の「好き」だの「愛」だののすべてはほぼ、ほぼヴィジュアル系バンドマンへ捧げられていたのである(重要)
付き合い始めた頃。夫アルゴはやたら(今でもだけど)I love youと言う人だった。私はまず、好きだと言われたことに慣れていなかったし、それがLoveとか。
今でこそ、アメリカ人ってなんでもかんでもLoveかGodやなと薄い笑いを浮かべるけれど、当時は、ひぃ!Loveだって!と思いアワアワしていた。I love you tooと答えればいいのだろうけど、それを口にする自分が、恥ずかしくなんだかモダモダしていたのだ。で、「私も好きだよ」と日本語で答えていたのだけど。
若きアルゴ(当時19歳)は、「日本語のスキなんて、Likeと一緒じゃん。Likeなの?Loveじゃないの?なぜ、スキなのか?!Loveはアイシテルでしょ!アイシテイル、もしくはI love youと言わないのはなぜか?俺のことはLoveではないのか!(号泣)」と爆発したのである。大・爆・発である。
号泣、だったんである。えぇぇぇぇ。リビング、半壊。ひどい!
ゆーて、ほれ、ほとんどの場合、日本人「愛してます」なんてそんなドラマとか小説とか、漫画でしか言わんぞ?恋人同士なんて普通「好きだ」「好きです」って言いあうもんであり、愛してるぅなんて言わないのでは?(いや、言う人は言うんだろうけれども)私は奥ゆかしきニホンジンであるのだ……自分で書いてて笑う。奥ゆかしいとか図々しい……てか、スキって言うだけでよくね?と私は思っていたのだ。
でも、英語の「スキ」LikeとLoveは全然違う。
ゆえに、スキとはいうが、アイシテイルという言葉を使用しない私に、夫アルゴは怒り、そして不信感を抱いたのである。
Like と Love。どう違うのか。私はこれを書いていてふと思った。そしてグーグル先生してみたら、きっと世の中にはLike とLoveでお悩みの方が沢山、いらっしゃるのであろう。そこから見つけたDefinition(定義)
ええええ、そんなに違って、そんなに深いものなら、簡単にI love Pizza
I love Ice Creamとか使うなし!と思うのだが、なんだかとっても奥深い定義である。
再度、号泣されたり、リビング半壊などといった状態になるのはNo Thank youであるし。私の愛情を疑われるのも不愉快であるので、それ以来、私もI love you too, Love Youなどと口にするようになった。
しかし、これ、恥ずかしがり屋さんの日本人的には、なかなかに大変なのである。慣れるのが。一朝一夕でできるものではないのである。
アルゴの親族なぞ、電話するたびにLove youとか、My Loveとかじゃんじゃん言うのだが、日本の親族にはそんなことは言わないし、言われない。これは、キス・ハグなどの文化もそうで、私は親しい人や親族などでも、Loveという言葉を口にしたり、キス・ハグできるようになるまでずいぶんと時間が必要であった。ほれ、引用文に書いてある「愛は信頼に基づいており、成長するのに時間がかかるかもしれません」ってこれよ。
そんなこんながあって、21年経過。毎日、何度もLove Youなんて言葉を口にするようになって思ったのだが、これってば自己顕示、つまり、私はあなたを愛していますという気持ちを表すと同時に、どこか自己暗示のような効果もあるような気がしている。
あいしている、という言葉を口にするたびに、なんだか、おぉ、この人の事が大事なのだなぁ、スキなのだなぁなどと自己認識というか、そんな気持ちがしみじみと湧いてくるのである。
Love Youと口にするたびに、あぁ、この人のことがスキだなぁという思いが増えていくのだ。そして、対夫アルゴ限定であったこのLove Youという言葉の範囲が親族だの、大事な友人へと拡がったというわけである。同じ経緯で、Babyとかいう言葉にも慣れてきたけどそれはまた別の話。
日本人の友人や知人の前で電話をするたび、会話の終わりにLove Youなんて言われたり、言ったりすると「仲いいねぇ」などとからかわれることもママあり、そのたびに、ニシシシシと薄気味悪い笑顔を浮かべる私であるのだが。
このスキとLoveってのは同じだけど違う事件以降、思う。毎日一緒にいる人でも、想いってのは言葉にしなきゃわからないということと、言葉にすることで変化していく気持ちがあるということ。そして、アイシテイルという言葉を言える相手がいることは幸いである、ということである。同時に、アイシテイルよと言ってくれる人が存在することも、そういわれる存在でありたいと願える相手がいることも。
私と夫アルゴは長い時間を一緒に過ごしていて。気がつけば、親、きょうだいと過ごした時間よりも長い時間を共有している。毎日の生活の中でアホみたいなことで喧嘩をしたり、どっちかの機嫌が悪くて嫌な気持ちになったり、私がよく言う「クソドラマ」つまり、もう修羅場でしかないような色んなことを経験してきたけれど。ちっとも忍ばない忍者NARUTOの「だってばよ」のごとく、語尾につける「Love you」という言葉には、自分と相手の気持ちを知ることのできる簡単確認ツールでもあるように思う。
もちろん、Loveなんて言葉には深い意味が込められているわけだし。日本、日本人特有の敢えて気持ちを秘する、Humble(謙虚)を尊ぶ文化は、大事なものであるとも認識しているし、尊重している。だが、この「けっ、アメリカナイズしやがって」と思う言動は夫アルゴだけでなく、私を取りかこむ、囲んでくれる沢山の人たちへの想いや気持ちも変えてくれたように思う。
なので、冒頭の「君が好きだと叫びーたい♪」とタイトルである。「君を愛していると叫びーたい♪」なんて、曲調にはしっくりこない歌詞で私は言い続けたいわけである。
一万回でも、一億回でも、I love youという言葉を。自分の伴侶へ、我が家の犬3匹へ、そして私を取り囲むすべての人へ。そしてこの記事を読んでくださった、お一人、お一人に。
そんな💕 愛、なのである。
終
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?