わたしでいるために
人探しの記事についての諸々。人探しの記事、引き続き、拡散希望です。前回に続き、なぜ私が助けたいと思ったのか。
(元記事はコチラ。友人のブログです *ちなみに彼女のブログは異文化について様々な切り口、心理学的要素を交えた面白い記事が沢山あるので興味のある方は是非)
何かお助けできれば、との思いに駆られNoteに記したのだけど。Note, ツイッターにこの記事を紹介してくださった方々や有効な情報を教えていただいたり、書いてよかったと思う。できることなら良い報告ができことを夢見ている今日この頃。
探し人である「しまむらさちこ」さん。どうやら友人によるフェイスブック捜索でも見つかっていないらしいので、おそらく結婚されて苗字が変わられたのかもしれない。現在の年齢は60代。
もしかしたら、この記事を読んだ方のお母さんだったり、親戚だったり、友人・知人かもしれない。あと、1980年代にツアーガイドでNYに来ているということは、今でも、もしかしたら翻訳やツアーガイドなど何らかの形で英語に関わるお仕事をされているかもしれない。Noteだったら、翻訳のお仕事、ツアーガイドをされている人もいっぱいいらっしゃるし…どんな小さなことでもとにかく何かをしなければ、何も始まらないわけで。
で。この人探しの記事。「しまむらさちこ」さんは、日本で出会ったブルックス氏と10年以上文通を続け、お互いに何となく気持ちがあったけれど、ブルックス氏はプロポーズをためらい、そして「しまむらさちこ」さんもブルックス氏と恋愛関係について明言しないうちに、連絡が途絶えた、とそんなお話なのだけど。友人のブログの中で
「私がもしあなたと付き合うとなると母親はそのうち許すかもしれないけども、父親は絶対許さないし、もしかしたら勘当されるかもしれない」、と言います。なぜなら彼は黒人だからです。
と、そんな言葉があって、それが私の心に刺さった。
なんせ私は、「付き合っている人が黒人だから」という理由で10年、母親から絶縁されており、家の敷居を跨がなかったという経緯がある。この絶縁には過去の記事でもたびたび書いているのだけど(過去記事 1.2)
この彼女の言葉って多分、よく言われるものだと思う。いや、日本人だからではなく。いまだにこの国でも、こんな風なことを娘に言う親って多いように思う。「アメリカでしょ?え~」と思われるかもしれないが、ある(断言)。いっぱい、ある(断言)。
結局、「しまむらさちこ」さんのこの言葉を聞いたブルックス氏は彼女への結婚を前提としたお付き合い、プロポーズをしなかったのだという。ただ、私が、このブルックス氏がすごいなと思ったのは、彼女の事を考えた末にプロポーズを断念したということ。
彼女に家族を捨てさせたくない、一人きりにさせたくない、不自由・不安ののない暮らしをさせてあげたい。
そもそもブルックス氏は1か月だけ滞在した国で一目ぼれした女性と10年、文通を続け、想い続けた。まずそこからすごい。その上、20代の男の人がそんなことまで考えるなんてものすごくレアなケースではなかろうか。そもそも自分が20代前半の時なんて自分の事しか考えていなかったし、遊んでしかいなかった。うちの夫アルゴ氏も同じようなことを考えてくれては(多分)いたけど、それでもにっちもさっちもで、結局、私は親に絶縁され、独断で入籍した。
結婚ってのをゴールと思う人は多いと思う。特に結婚したいって思ってる人たち。でも結婚てスタート地点に立つってことだ。だって他人と2人で「家庭」を作っていくわけだから。少なくとも、私にとってはそういう認識だったから、親に対して、すまんな!という気持ちはあったけれど、それでも、これからの人生を一緒に過ごしたい人はこの人(アルゴ)だと出会った当初からなぜか謎の確信があったから、まぁ普通にプロポーズとか両家の挨拶とか無しだけど、しょうがないないよねぇ、という気持ちのまま一緒になった。
入籍する前から絶縁されていたのだが、絶縁にあたり(絶縁にあたりって言い方もヘンな言い方である)つまり、アルゴとのお付き合いを親に話すにあたり、
『付き合っている人は7歳年下、現在(当時)学生の黒人である。ちなみに彼は片親で、あなた(母)が望むようなお金持ちのおうちの人ではない』と伝えた。
なんせ、母親は自分の娘たちに”良家”の”お嬢さん”にふさわしい、例えば弁護士やお医者様、代議士や何かしら有名でお金持ちのおうちに嫁いでほしいとかなり真顔で考えており、そのために私は、行儀作法はきっちりがっちり、学業はもちろんのこと、華道、茶道、ピアノレッスン、剣道、書道を仕込まれた。海外に出したのだって、博士号を取るためだけであり、別に娘にキャリアなんて望んではいなかった。そういうハクが欲しかっただけなのだ。
……なんかすまんな、出来上がったのがこんなチンピラ風情のBBAバンギャでな……というか、すまんがうちは単に父親が商売で少しばかり成功したってだけのおうちなので、格式とか家柄とか格調高き歴史とかそんなもんはハナから存在せず、むしろ自ら、ためらいもなく我が家のことを”良家”などという母親が心底、恥ずかしかった。
『絶縁するというのはもう了承したゆえ、何度も言わなくてもよいし、覚悟を決めた。もちろん、今後、あなたが金銭的にサポートを絶つのもわかっている。その覚悟もある。貧乏生活になるがそれは致し方なく、今後は自分の身に会った、自分の稼いだお金で生活をしていく。考えてみれば、20代も後半だというのに親に寄りかかっていた今までの生活がおかしいのだ。というか、金銭的援助やアメリカに出してくれたことには本当に、心から感謝している』
『彼はこれまで色んな差別を受けて生きてきた人なので、それが己の母親でも彼を差別する人間や、傷つける人間を私は絶対に許さない。絶対に、だ。彼を傷つける存在には全力で戦うし、報復が必要であればそれを躊躇わない。そもそも他人を家柄や仕事、親のことなどで差別するなと厳しく躾け、育てたのは貴女(母)であることを忘れないでいただきたい。あなたの言っていること、やっていることは、差別でしかないという自覚をもって、自分が他人を差別している差別主義なのだ、という認識をもっていただきたい』
ちなみに、躊躇わなかったゆえにともに逮捕された事案は言わなかった。
『あなたが彼を受け入れられないのもわかる。年齢やあなたの育った環境を鑑みればそれは致し方のないことだと思うし私と彼はそれを無理強いしないし。あなたに受け入れられるよう、向上心を忘れず、幸せになる努力はするが、媚びたり、へつらったり、嘘をついたりして受け入れてください、と貴女に懇願するようなことはしない。私には彼が必要で、彼にもまた私が必要であるので、それは誰かに…例え親にですら…懇願し、認めて”もらうおう”などと言うものではないのである』
『どんなことがあってもあなたが私の母である事実は変わりがなく、あなたが育ててくれたこと、大事にしてくれたことは私もアルゴも大層、感謝しているし、あなたがどんな気持ちであれ、私たちは貴女を母親として愛している、それは忘れないで欲しい』
と、いうようなことを伝えたら、返事も何もなく、そのまま10年ちょいほど、なんの連絡もなかった。今こうして書き出すと、そら母親も泣くよ、これ。なんか偉そうだもの、私。母親には色んな思惑があったのだろうが、基本は娘の事を心配していた(……のだと私は思いたい)
とはいえ、私がここまで言い切れたのは、単にこれまでの親からの支援により、こちらでの学業を終了、職を得ており、なんとか金銭援助がなくとも自力で働くチャンスがあったということと、こちらにいるアルゴの家族・親族が私の事を大事にしてくれているので、本当の家族に(母親)会えずとも、実のところ、あまり悲しいとか、会いたいとか思わなかったのである。
時代の変化というのも確実にあっただろうし、時代が変わることで人の考え方なども変わる。
「しまむらさちこ」さんがこちらにガイドとしてこられたのは、1980年代。1ドルが220円~250円ほどだった時代である。携帯もネットも普及しておらず、連絡手段は手紙。もしくは家の電話。家電。お年などを考えたり、ブルックス氏からのお話を聞けば、おそらく彼女は割と(もしくはかなり)裕福なご家庭出身のお嬢さんだったのではないか、と推測される。
今の時代であれば、海外に出てお仕事をする日本人女性は沢山いるが、1980年代のことだ。今よりはきっと数も少しで、そこに至るまでの経費、経緯、いろんなことが今よりもずっと面倒だったのだろうとは安易に想像できる。また、その時代に娘さんを海外に出すという親御さんの気持ちも複雑だっただろう。物理的な距離は変わらずとも、連絡手段や移動手段が今よりもうんと手間のかかるものだったのだから。
IFなんてこの場合、なんの助けにもならないけれど、例えば「しまむらさちこ」さんとブルックス氏の出会いが今の時代だったら?と考えれば、色んな事が変わってくる。連絡も簡単に取れれば、彼女がこちらで生きていくのに不自由だって80年代に比べればうんと少ないだろう。なんせ、普通のスーパーですら色んな日本やアジアの食材が普通に売られ、米アマゾンでは日本製耳かきから、しゃぶしゃぶ鍋まで手に入るのだ。当時に比べ、日本人女性でもこちらでの職を得ることもそれほど困難なことでもなければ、こんな風にネットで世界中の人たちと交流できる。
でも、なんせ1980年代の話だったのだ。「しまむらさちこ」さんが自然消滅というか、フェードアウトしてしまった気持ちや状況が分からないでもない。
そして、彼女がご両親へ付き合う事やブラックアメリカンにプロポーズされるかもしれない、といった事を気にしていたこと、推測だけど親には言えなかったというのも、ものすごくよくわかる。
私ですら、親へ報告するまでに何年もの時間を要したし、そのことでアルゴとは何度も何度もひどい喧嘩をした。上に書いたように、私はひどいことをズケズケと母親に言ったけれど、それでもなお『親に絶縁される』という事実はたまに私を傷つけたこともあったし、親との関係を切るというのは、やっぱり覚悟というものが必要だったのだ。
で、タイトルなのである。それでも私が選び、決断したのはアルゴの存在であり。私が私であるために必要なことだったのである。使わせていただいているヘッダー画像、青木詠一さんのこの写真タイトルが「私でいたい」というもの。この真っ白なお花とタイトル。この記事と前の記事とシンクしているようで使わせていただいたのだけど。私はただまっすぐにいたかっただけ。そしてこれからもまっすぐでいたいと思う。
前回の記事に「見つかって、さて、何が始まるわけでもないでしょうが、せめて伝えたい思いを伝えて、ジョンさんの長年の心残りのclosureになれば良いですよね!」というコメントをいただいて、本当にそう。これ!!ほんと、こういう思いなの!私も!と思ったのだけど。
きっと、ジョン・ブルックス氏もこの初恋の気持ちを忘れないままに、色んな人に出会い、別れて、今の年齢になられたのだと思うし、彼には彼の素敵な人生があるのだと思う。だからこそのClosure. 彼が彼らしくいるための人探しなのではないかな、と思う。
経過報告や諸々、随時、こちらで記事にしていきます。引き続き、ご協力願えれば幸いです。
(終)