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韋編三絶
複数の言語を話す夫アルゴの言語勉強の話、と私自身の英語の話。
最近、夫アルゴはまたドイツ語の勉強をしている。Self-Introductionの記事のアルゴ紹介にも書いているがこの人は5か国語をしゃべることができる。英語、日本語(そこそこ流暢)、アラビア語(流暢)、スペイン語(流暢)、ドイツ語(ぼちぼち)。
ちなみにタイトルは「いへん-さんぜつ」何度も繰り返し、熱心に本を読むことのたとえ。また、学問に熱心なことのたとえのこと。私の中のNote自分ルールで四文字熟語は、後日談と備忘録のカテゴリーの記事に使うと決めていたのだけど、備忘録として書き始めたら長くなったのだ。
思うに、いくつかの言語を理解できるというのは、地道な努力とセンスだと思う。私なんぞは勉強嫌いなので英語だけでひぃひぃなのである。アルゴがドイツ語を勉強し始めたのは(スペイン語も)巡礼路を歩いてからのこと。巡礼路で知り合い、一緒に歩いた人たちが二人のドイツ人だった。ちなみに彼らは数年前にアメリカまで遊びに来た。
自分の夫を褒めるというのもなんだかなぁ、ではあるが(や!でも!パートナーの良いところを褒めるのはとても大事だと思う!うむ)アルゴの語学に対する欲というのはすごい。フルタイムで仕事をしつつ、大学院の授業があって、そこに自分の語学勉強。フルタイムで仕事をしつつ、大学院の授業があって、そこに自分の語学勉強。話すだけでなく、書くことにも重きを置いているので、あのぐにゃぐにゃ、点、点、点のアラビア語も読めたり、ひらがな、カタカナ、そして簡単な漢字が読み書きできるのは、やっぱり素直にすげぇなぁと思える。私はもっと彼の知識・学術への貪欲な態度を見習うべきである。くっ。
「なんで今、ドイツ語よ?」と聞いてみたら、「いや、ほら、先月さ、資格試験受けたじゃん?でもまだ結果出てないじゃん?待ってる間、イライラするから、で、ドイツ語」という答えが返ってきたがちっともよくわからない。イライラするからドイツ語。ほーん。変な人。
私ならそんなイライラ期に知らんことを勉強しようなどと言う気には到底、なれないし、そもそも学校の仕事もあれば、鬼ほどある院の課題もこなし、かつ資格試験の勉強もようやく一息ついたのだから、隙あらば怠けると思う。いや、怠ける(断言)そこいらが、5か国語喋れる人との違いなのであろうか。アルゴは知らないことを勉強するのが楽しいんだそうだ。
渡米したばかりの頃、私は語学クラスにおり、色々な国から来た人たちと出会ったし、当時は「英語力向上のため」などとのたまい、日本語と日本人をできるだけ避けていた。アメリカにいるから当たり前のようにアメリカ人(ネィティブ)と話す機会はなんぼでもあるだろうし、友達とかもできるだろ?と思われる方もおられるかもしれないが、そんなもん、自分から積極的にコミュニケートせねば無いのである。コミュ障がちの私には非常にハードルが高い。
ただ、私の場合は、ちょっとばかりラッキーで、渡米してすぐ、まだ寮で暮らしていた頃。語学留学生は、語学留学生の組み合わせで寮に振り分けられる。だが私は学校側の手違いでなぜだか普通の学部生(アメリカ人)用の4人部屋に割り振られ、しかもたまたま、同室の人がものすごく親切で、かつ、彼女自身も別の語学を学んでいる人(カナダ人のフィアンセと結婚するので、カナダで使われるフランス語を勉強していた)だったため、別の言葉を勉強する大変さがわかる、というので根気強く私との会話をしてくれた。
ともあれ、そんな色んな国から来た人たちがいる環境にいたにも関わらず、英語以外で私が学んだ異国語は「オパ、タンベ、ハナマン(お兄さん、煙草くれる?)」「ジャ ヌン イルボンニ イェヨ(私は日本人です)」という韓国語と、「ベンデホ、ロカ(頭のおかしい馬鹿女)」「サベッサ(ビール)」とスペイン語のみというとほほな話。
私の場合は、習得せなばならない場所に来てしまったため、なんとしてでも話せるように、使えるようにならぬという絶対条件というか、大前提があったゆえ、英語が使えるようになったようなものだから、アルゴを見たり、日本にいて自分で外国語を勉強する・しなおす、などという方のNoteを拝読するたびに、えらいなぁ、すごいなぁ(だから語彙よ……)と思う。
そんなわけで私は英語を話すが、どんな阿呆でも20年も暮らしていたら話せるようになると思う。私がアルゴに対して感心するのは勉強するという行為だけではなく、彼は発音しながら勉強し、それっぽい(ドイツ人)人を見かけたりすると躊躇いなく話しかけるところである。「あんま喋れないし(もじもじ)恥ずかしいじゃん(もじもじ)」などという態度は一切なく、失敗を恐れずに話しかける。私の場合、発音練習って一人でやっているとなんだか、ふと我に返った瞬間に「かあぁぁぁぁぁ////」と意味もなく赤面してしまうのだが、アルゴはへっちゃらである。じゃんじゃん、声にだす。
この「じゃんじゃんしゃべる方式」は、付き合い始めた頃に私にも強要された。「喋んなきゃうまくならんからな!てか、通じればいいのよ、通じれば」というわけで、いまだに抜けきらぬ訛りはあるが、私の英語はじゃんじゃん指導され、きれいに発音できるまでしつこく何回も練習させられたものだ。
私の場合は、典型的なニホンジンで、渡米した当時は、読める、書ける、でも聞き取れない、喋れないという感じだったのだが、付き合い始めのべたべた・いちゃいちゃ時期の頃からアルゴが、懇切丁寧に、一生懸命教えてくれたので、私の英語は彼によって向上したと言わざるを得ない。
ゆえに、今振り返れば、あんなにも意思疎通がうまくいっていなかったのに、よくぞここまで一緒にいたもんだと思うし、あんなにもつたない英語でよくもまぁ、アホみたいなドラマ/修羅場な日々を潜り抜けられたものだと我ながら感心してしまう。
ちなみに私は、中高時代はまったく勉強をしない子供だったので英語の基礎というものがきちんとしていないため、そこいらは、院の試験を受けるためにもがっつり勉強した。簡単じゃん、なんで今更と思われるかもしれないが、中学生レベルの文法から勉強しなおした。この『まさかそんなレベルからやり直さなきゃいけないの?』という根本的な見直し。それは確実に力になる。私の場合は、必要に迫られてというのが正しいけれど。
で、話を夫アルゴのドイツ語学習に戻す。せっかくだから私も触発されて、一緒にドイツ語発音練習なぞしてみるが、私の覚えたドイツ語は、マイン フント イスト ブゥンダバー、マイン フント りんご イスト ブゥンダバー。私の犬はすばらしい。私の犬、りんごはすばらしい。これのみ。
この「ブゥンダバー(Wonderful)」の響きが好きで壊れたロボットのように、ブゥンダバー、ブゥンダバーと言っている今日この頃の私。
ちなみにそのブゥンダバーなアルゴの日本語だが、私はほとんど教えていない。彼は自力で勉強しつつ、大学でクラスを取った。アルゴに日本語を教えると、こらえ性のない私は「なんで?え、なんでこんな言い方になるの?」などと聞かれるたびに「だから!そういうもんなんだって!(苛)」などと言ってしまう。学ぶにしろ、教えるにしろ、語学学習については地道な努力と忍耐が必要なのだと私は思う。(ちなみにアルゴが大学にいた時の日本語教授(日本人)がクソみたいな人種差別者でそのことについてまたもりもり書きたいとも思っている)
マイ マン イスト ブゥンダバー(My husband is wonderful。私の夫は素晴らしい)ので私も見習って何かしらの言語を勉強したいなぁと思う今日この頃。なんせ語学関連の本ならいっぱいあるのだから。
いへん-さんぜつ【韋編三絶】
何度も繰り返し、熱心に本を読むことのたとえ。また、学問に熱心なことのたとえ。▽「韋編」は文字を書いた木札(木簡という)や竹の札(竹簡という)を皮のひもで綴つづった古代中国の書物。「三絶」は三度断ち切れる意。また、何度も断ち切れる意。「三」は三度の意と数の多いことを表す場合とがある。「韋編いへん三みたび絶たつ」と訓読する。
(終)