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ジョージフロイドと映画が語る人種差別
またしても、尊い命がアメリカから消えた。
時代は変わったと言うけれど、完全に変わる事はまだ出来ていない。
人種間での争いがどれだけ醜い事で悲しい事だろうか。考えてみたら人種差別というのは実に非合理的な考え方だ。
肌の色で、その全てを括ってしまうのだから。
これはアメリカだけの話ではない。
日本でも起こり得ることだ。
例えば、日本の警官が有色人種に対して、差別意識を持っていたとする。
相手が犯罪者だと確信している警官だとしたら、今回アメリカで起きたように、苦しいと言っていても無視して押さえつける可能性は高い。
ここで重要なのは、有色人種に対して差別意識のある“警官"と、その差別意識によって命を落とした"民"の命だ。
国の権力を持つものが、自分の差別意識によって悪い人を殺して良いのか、という問題である。
この警官に差別意識があったかどうかをハッキリ確認出来るわけではないので、これから話す事は差別意識があったとする前提で話す。
警官であれ、犯罪者であれ、人を傷つけ殺して良いという権利はない。
「暴力は敗北だ」
2018年にアメリカで公開されたグリーンブックという映画で強烈な印象を残した台詞をもとに話していこうと思う。
この映画は実話を基にしている。
序盤は、そこまで強烈な差別を見せつけられるわけではないが、中盤から終盤にかけて、強烈な差別とそれに苦しむ天才黒人ピアニストの葛藤を描いている。
また、白人ではないアメリカ人で黒人よりも差別されずとも少なからず白人から差別を受けてきたイタリア人のデタラメ好きなトニー・リップがいることで、感情移入しやすいので、この問題に興味がない人にも是非鑑賞してほしい映画だ。
この映画をアバウトに紹介するなら、すべての人が当事者だということをこの映画は教えてくれている。
今、この時間にもアメリカでは大規模なデモが起こっており、怪我人や死人も出ている状況で映画なんて呑気過ぎると言う人もいるだろう。
だが、私の関心を持つツールとして実話を基にした映画は非常にわかりやすく、そして気づかされることがあるのだ。
安易にSNSやその他のツールで意見を言えなくなっている人もいるようだが、関心は示さなければ届かない、正しいかそうでないかは別として、知ろうとした結果、何か感じたのであれば、思いを発信する事が、今できる差別に対してのデモになるのではないだろうか?
デモと言えば暴力や過激な行動だと思われがちだが、本当の意味はそうではない。
平和的に話し合いをし、解決する手口を見つける活動だ。
多くの人の意見を聞き、感じ、行動することは、指でも出来るはずだ。
多くの犠牲者は要らない。
今一番必要なのは、関心。
それが世界を変えるし、世界はこれまでも随分良く変わってくる事ができたのだから、過去にできたことは今できるはずだ。
止めてはいけない、関心を。
止めてはいけない、その思いを。
世界を良くする事に少しだけ協力してみよう。
そういう思いで、今日久しぶりにnoteに投稿した。